日本における食用史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:15 UTC 版)
ヨーロッパで食用にされているヨーロッパウズラと比べると本種はやや小さくヨーロッパウズラのほうが大型である。 「鶉といえば、今はもっぱら焼鳥などにして食べるものだ。またウズラの卵も食べている。だが私たちの口にはいるものは、おおかた養殖のウズラである。自然にウズラの姿を見、ウズラの声をきくことは、非常に少なくなった。」 - 山本健吉 食用としての歴史について、日本では平安時代に本種の調理法について記した書物がある。明治時代中期から採卵用の飼養が本格的に進められるようになり、1941年には飼養数は約200万羽に達した。当時は本種の卵が肺病や心臓病の薬になると信じられ珍重されたが、販売経路が限られることや原価が高いことから下火となった。第二次世界大戦により本種の飼養は壊滅的な状況に陥ったものの、1965年に飼養数が再び約200万羽まで増加し。1970年代以降は主に愛知県(日本の飼養数のうち約65%を占める)、中でも豊橋市を中心に養殖が行なわれている、1984年に約850万羽と最盛期を迎えた。2009年に豊橋市で鳥インフルエンザが確認されたことにより約160万羽が殺処分された。調理法として水炊き、焼き鳥、肉団子などがあり、雑煮の出汁に用いられることもある。生後60日ほどで成熟し、オスは精肉用、メスは採卵用となる。
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