日本におけるビアガーデンの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 19:51 UTC 版)
「ビアガーデン」の記事における「日本におけるビアガーデンの歴史」の解説
日本で最初のビアガーデンは、1875年に横浜・山手で「スプリング・バレー・ブルワリー(1869年創業、現在の麒麟麦酒 )」の創始者であるアメリカ人、ウィリアム・コープランドが、醸造工場に隣接する自宅を改装して開いた「スプリング・バレー・ビヤ・ガーデン」である。主に外国人居留者と外国船の船員向けであった。1903年札幌麦酒会社が、東京隅田川吾妻橋東岸にビールガーデンを開いた。 日本で最初の屋上ビアガーデンは1953年に大阪市北区梅田でオープンした「ニユートーキヨー大阪第一生命ビル店」と言われている。元々大阪第一生命ビル(いわゆる旧大阪第一生命ビル)の地下1階にニユートーキヨー第一生命ビル店は開業していたが、1953年に貸し切り依頼があった際に、店内に参加者が入りきらず、ビルの屋上も会場としてビールや料理を振る舞ったのが、屋上ビアガーデンの発祥と言われている。 上述のニユートーキヨー大阪第一生命ビル店以前にも、1952年5月16日の『毎日新聞』朝刊には、「初夏の序曲」という見出しで、「夏のビヤホールもルーフガーデンと銘打って屋上に進出」と銀座の屋上ビアホールの写真が添えられている。この他にも1952年には日本橋髙島屋で「ビールの祭典 屋上庭園」、東京會舘で「屋上納涼園」など、ビルの屋上でビールを楽しめる店が営業されている。しかしながら、大阪の雑誌が2005年にニユートーキヨーを「日本初」として紹介しているが、異論は出ていない。 1955年以降、新聞などでビアガーデンの盛況を伝える新聞記事の写真には女性客も増えて行き、1966年7月8日の『朝日新聞』東京版朝刊では、「若い女性連れも客もビアガーデンの二、三割を占める」と記事にされている。 屋上ビアガーデンの最盛期は、冷房用のエアコンが普及する以前の1964年東京オリンピック頃であったとされる。この頃のビアガーデンにはバンドによるハワイアンミュージックの生演奏もよく行われていた。屋上ビアガーデンが隆盛することで、公園や観光地といった建物の屋上以外でもビアガーデンという呼称で屋外でビールを飲ませる業態が増えることになる。一例として1959年第6回さっぽろ夏まつりより大通公園では「大通納涼ガーデン」という名称でビアガーデンが開催され、翌年以降も継続して開催されたことで北海道の夏の風物詩となっている。 1970年代後半には、エアコンの普及によって室内でも涼を求められるようになったことや、スモッグによる環境悪化、景観の悪化などもあり、ビアガーデンが「もう一つパッとしない」と新聞記事の見出しになるようになった。ただし、2004年に麒麟麦酒が行った意識調査では「ビアガーデンに行く」と回答した人は90%を超えており、日本ではビアガーデンに根強い人気があることもうかがえる。 2005年から2010年までは、東京駅隣接の大丸東京店や銀座東芝ビルなどビル解体に伴って老舗ビアガーデンの閉鎖もあり、23区内のビアガーデンの店舗数はほぼ30前後と微減傾向にあった。しかし、2012年から、都市部を中心に百貨店の屋上、ホテルの庭園、複合商業施設のテラスエリアなどでビアガーデンやビアテラスが新規オープンし、店舗数が増加に転じている。営業期間も夏季のみではなく、4月や5月頃から営業を行う「平成のビアガーデンブーム」ともいえる現象が起きている。麒麟麦酒による調査でも、2015年から2017年にかけて1人がビアガーデンで使う平均予算は連続して増加している。
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