日本での戦歴とは? わかりやすく解説

日本での戦歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 15:08 UTC 版)

スコット・アーウィン」の記事における「日本での戦歴」の解説

日本には全日本プロレスに計3回いずれも覆面レスラーとして来日している。初来日となる1980年10月の『ジャイアント・シリーズ』ではベテランジ・アベンジャー大型覆面タッグ組んだが、テリー・ファンクアブドーラ・ザ・ブッチャーワフー・マクダニエルビル・ロビンソンディック・マードックキラー・トーア・カマタ豪華メンバー集結したシリーズにおいては目立った活躍残せなかった。このシリーズにはジ・アステロイド(The Asteroid名義参戦しており、同時期、アーウィンアメリカ南部アステロイドスーパー・デストロイヤー2つリングネーム使い分けていた。 2度目1982年11月スーパー・デストロイヤー名義で『'82世界最強タッグ決定リーグ戦』に上田馬之助組んで出場即席コンビということもあり得点ゼロ最下位終わったものの、同シリーズレフェリーとして来日していたルー・テーズは「スタン・ハンセンブルーザー・ブロディよりも腕力は上」と評価していた。なお、同時期に新日本プロレス開催した第3回MSGタッグ・リーグ戦にも、ジョージアタッグ組んでいたマスクド・スーパースターとの覆面コンビ参加噂されことがある最後の来日となった1984年2月の『エキサイト・シリーズ』にはビル・アーウィンとのスーパー・デストロイヤーズで参戦2月26日大阪府立体育館にて、阿修羅・原&石川隆士のアジア・タッグ王座挑戦した素顔での来日1度もなかったが、初来日を果たす前の1980年6月29日カナダトロント素顔スコット・アーウィンとしてブルーザー・ブロディパートナー起用されジャイアント馬場&ジャンボ鶴田インターナショナル・タッグ王座挑戦している。

※この「日本での戦歴」の解説は、「スコット・アーウィン」の解説の一部です。
「日本での戦歴」を含む「スコット・アーウィン」の記事については、「スコット・アーウィン」の概要を参照ください。


日本での戦歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 02:39 UTC 版)

ドン・中矢・ニールセン」の記事における「日本での戦歴」の解説

1986年昭和61年10月9日 - 両国国技館行われた新日本プロレス「INOKI 闘魂 LIVE」の第7試合で、前田日明と3分10Rの異種格闘技戦対戦打撃攻め立てるニールセン蹴り組んで関節技を狙う前田との緊張感溢れ熱戦格闘史に残る名勝負となり、最後は5R2分26秒、逆片エビ固め極められ敗退。この試合で、前田は「新・格闘王」の称号得た1987年昭和62年3月27日 - 前田との異種格闘技戦人気急騰したニールセン大阪城ホール行われた新日本プロレス「INOKI 闘魂 LIVE Part2」で再来日。チャーリー・アーチとマーシャルアーツIWA認定クルーザー級USアメリカン選手権3分10Rで対戦、3R50秒KO勝ち。 10月30日発売週刊ファイト1987.11.6号で、ニールセン電話取材新日本プロレス年末の特別興行高田延彦異種格闘技戦を行うと証言した報じる11月6日発売週刊ゴング1987.11.20号では「12・27両国「INOKI闘魂LIVE3」の3大目玉カード」の一つとして高田vsニールセン可能性記事になった実現しなかった。 1988年昭和63年5月8日 - 新日本プロレス「'88 スーパーファイト・シリーズ」最終戦 有明コロシアム大会で山田恵一異種格闘技戦対戦山田タックル再三テイクダウンされるがペース握らせず。4ラウンド放ったローキック負傷した山田右足追い打ちをかけ4R1分3秒、KO勝ち。試合後、リングサイドにいた山田骨法の師、堀辺正史舐めた態度試合をしていたニールセン激高、「次は俺と戦え!」と突っかかる場面がみられた。 7月29日 - 新日本プロレス「'88 サマーファイト・シリーズ」有明コロシアム大会で藤原喜明異種格闘技戦対戦終始藤原コーナー追い込み打撃圧倒。5R1分46秒、レフリーストップによるTKO勝ち。 1989年平成元年5月14日 - 後楽園ホール行われた全日本キックボクシング連盟世紀激突Part 3」でロブ・カーマンとの前哨戦としてケビン・ローズイヤーWKA世界スーパーヘビー級タイトル挑戦ニールセン贔屓マッチメイクのはずが、体格で勝るローズイヤーに圧倒され6RKO負け9月5日 - 日本武道館行われた全日本キックボクシング連盟 8年8ヵ月ぶりの武道館興行REAL BOUT」のメインWKAヨーロッパライトヘビー級王者欧州の蹴撃王”ロブ・カーマンと85kg契約3分5Rキックルールで対戦人気者ニールセン帝王カーマン激突話題呼んだが、終始カーマンローキック翻弄され3R44秒、カーマンの右フックリングに蹲りKO負けキックでの実力不足露呈する結果となった1990年平成2年6月30日 - 日本武道館行われた全日本キックボクシング連盟INSPIRING WARS “HEAT630”」で正道会館所属でキックデビュー戦となる佐竹雅昭と3分5Rヨーロッパキックルールで対戦佐竹明らかに故意頭突き複数入りレフリー試合制止する直前佐竹右ストレート決まり、1R2分7秒KO負けニールセン側から頭突き負けたんだ」とクレームがつき再戦要求されたが、頭突き反則レフリー佐竹減点1を宣告した事で解決してるとし抗議受け入れられなかった。 1992年平成4年5月15日 - 大阪府立体育会館行われた藤原組獅子王伝説Part2」のメインイベント藤原喜明異種格闘技戦再戦ニールセンハイキック藤原が瞼の上部を切り流血、1R1分7秒レフリーストップによりTKO勝ち。 10月4日 - 藤原組STACK OF ARMS東京ドーム大会でウェイン・シャムロック異種格闘技戦対戦 1R45秒、腕固め一本負け11月14日 - 日本興行ではないが、米国ラスベガスのユニオンプラザホテルアンドカジノで行われた「チャンピオンシップ・シリーズ・オブ・キックボクシング」に、全日本キックボクシング連盟清水隆広前田憲作熊谷直子と共に出場フランスのジャン・クロード・ルワンとWKAインターナショナルヘビー級王座決定戦3分5R行い、1R22秒、TKO勝ち。ニールセン王者となる。 1993年平成5年5月22日 - 後楽園ホール行われた全日本キックボクシング連盟EVOLUTION STEP 3」で平岡功光とムエタイルール対戦。10kg以上軽量平岡対し2R2分37秒、左ハイキックKO勝ち。(当時WKA世界クルーザー級8位として出場6月25日 - 大阪府立体育会館行われた正道会館聖戦SANCTUARY III風林火山 "風の章"」で佐竹雅昭UKF世界ヘビー級王座決定戦2度目対戦ヒジありの特別ルール試合をするが、1R2分30秒 3ノックダウンTKO負け返り討ちにあった1994年平成6年1月21日 - RINGSBATTLE DIMENSION TOURNAMENT'93」の第6試合スペシャルマッチで長井満也との対戦組まれたが怪我により欠場1995年平成7年6月17日 - RINGSRISING SERIES MINAZUKI有明コロシアム大会で再び長井との対戦発表されたが出場せず以後日本格闘技興行へは出場していない。

※この「日本での戦歴」の解説は、「ドン・中矢・ニールセン」の解説の一部です。
「日本での戦歴」を含む「ドン・中矢・ニールセン」の記事については、「ドン・中矢・ニールセン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本での戦歴」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本での戦歴」の関連用語

日本での戦歴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本での戦歴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスコット・アーウィン (改訂履歴)、ドン・中矢・ニールセン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS