日本での戒律の確立とは? わかりやすく解説

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日本での戒律の確立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 01:33 UTC 版)

鑑真」の記事における「日本での戒律の確立」の解説

天平勝宝5年12月26日大宰府到着鑑真大宰府観世音寺隣接する戒壇院で初の授戒行い天平勝宝6年2月4日平城京到着して聖武上皇以下の歓待を受け、孝謙天皇の勅により戒壇設立授戒について全面的に一任され東大寺住することとなった4月鑑真東大寺大仏殿戒壇築き上皇から僧尼まで400名に菩薩戒授けた。これが日本登壇授戒嚆矢である。併せて常設東大寺戒壇院建立されその後天平宝字5年には日本の東西で登壇授戒が可能となるよう、大宰府観世音寺および下野国薬師寺戒壇設置され戒律制度急速に整備されていった天平宝字2年(758)、淳仁天皇の勅により大和上任じられ政治とらわれる労苦から解放するため僧綱の任が解かれ自由に戒律伝えられる配慮なされた天平宝字3年(759)、新田部親王の旧邸宅跡与えられ唐招提寺創建し戒壇設置した鑑真戒律の他、彫刻薬草造詣深く日本にこれらの知識伝えたまた、悲田院作り貧民救済にも積極的に取り組んだ天平宝字7年(763年唐招提寺死去した享年76死去惜しんだ弟子の忍基は鑑真彫像脱活乾漆 彩色 麻布を漆で張り合わせて骨格作る手法 両手先は木彫)を造り現代まで唐招提寺伝わっている(国宝唐招提寺鑑真像)。これが日本最古肖像彫刻とされている。また、宝亀10年779年)、淡海三船により鑑真伝記唐大和上東征伝』が記され鑑真事績を知る貴重な史料となっている。

※この「日本での戒律の確立」の解説は、「鑑真」の解説の一部です。
「日本での戒律の確立」を含む「鑑真」の記事については、「鑑真」の概要を参照ください。

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