日本での成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 10:00 UTC 版)
翌年には日本でもアルバムをリリース。当時のロック・シーンではグランジ・オルタナティブロックが流行し、ヘヴィメタル系のミュージシャンにも大きな影響を及ぼしていた。 そんな中でも、正統派ブリティッシュ・ヘヴィメタルの系譜を色濃く意識したサウンドは日本で歓迎され、『BURRN!』誌がデビュー前から繰り返し取り上げるなど、新人としては異例の扱いを受けた。しかし、オワーズ兄弟の突然の脱退により急遽新メンバーを加えて行った来日公演は露骨なリハーサル不足が露呈し、クオリティの低いパフォーマンスを見せてしまい、ファンを大きく失望させる結果となってしまう。
※この「日本での成功」の解説は、「ライオンズハート」の解説の一部です。
「日本での成功」を含む「ライオンズハート」の記事については、「ライオンズハート」の概要を参照ください。
日本での成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/28 05:03 UTC 版)
「クリスティーナとウーゴ」の記事における「日本での成功」の解説
1972年のNHKでは「世界の音楽」という番組があり、来日アーティストを中心に、海外の音楽を紹介していた。ある時アメリカの大きなジャズ・バンドの来日が中止となり、他のもので穴埋めしなければいけないこととなった。この時NHKの中に世界の「フォルクローレ・ブーム」に注目していた若いディレクターがいて、来日中のまだ無名の夫婦デュオ、クリスティーナとウーゴに仕事を依頼することとなった。ジャズ・バンドのために用意していた莫大な製作費をそのままつぎこみ、番組は収録された。インカ帝国風のセット、オーケストラとの共演、背後にはアンデスに生きる人々の映像、チチカカ湖、ウロス島、インディオたち、それらの映像を背に二人は歌い演奏した。 1973年2月14日、番組が放映されるとNHKには問い合わせの電話と手紙が殺到した。日本でレコード各社が競ってフォルクローレの作品を発売し始め、本格的にブームと騒がれるようになった。
※この「日本での成功」の解説は、「クリスティーナとウーゴ」の解説の一部です。
「日本での成功」を含む「クリスティーナとウーゴ」の記事については、「クリスティーナとウーゴ」の概要を参照ください。
- 日本での成功のページへのリンク