結成 - バンド名変更までとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 結成 - バンド名変更までの意味・解説 

結成 - バンド名変更まで (1987年-1999年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/17 02:32 UTC 版)

ハーレム・スキャーレム」の記事における「結成 - バンド名変更まで (1987年-1999年)」の解説

ハーレム・スキャーレム結成1987年当時、「Blind Vengeance」というスピードメタル・バンドにいたハロルドハリー)・ヘスボーカル)とダレン・スミス(ドラムボーカル)、「Minotaur」なるバンドギター弾いていたピート・レスペランスギターボーカル)、地元音楽学校通いながらポルカ・バンドでベース弾きDJ経験もあるマイク・ジオネット(ベースボーカル)の4人で結成される結成後、レコード会社ディールを得るためデモテープ作成励みながら、地元FMラジオ局コンテスト参加2位という成績収め、この結果ワーナーとワールドワイド・レコード契約を結ぶ。 ファースト・アルバム制作はマーク・リブラー等、外部ライター協力も得ながら進められ1991年ハーレム・スキャーレム』としてリリースされる。これをサポートするツアーとして1992年まで北米中心ツアーが行われる。 ツアー終了後セカンド・アルバム制作取り掛かり1993年『ムード・スウィングス』をリリースする。「Change Comes Around」「No Justice」「Saviors Never Cry」などの曲がこのアルバム収録されている。 またこのアルバム日本フィリピン等のアジア諸国ヒットし、特に日本では1990年代入り低迷気味であったハードロック・ヘヴィメタル界に歓迎持って受け入れられた。セカンド・アルバム成功により、ファースト・アルバム本国から遅れること3年1994年日本でも発売となった。ただ、この日本での成功および『ムード・スウィングス』の成功後々まで彼らを苦しめることになる。 セカンド・アルバムに伴うツアー終了後、サード・アルバムを収録発表する。『ヴォイス・オブ・リーズン』と題されたこのアルバム当時音楽シーン所謂モダン・ヘヴィネス)に合わせた重くやや暗めのサウンドとなった本国ではそれなりに歓迎されたが、日本ではセカンドファーストの順にアルバム発表されたことや、『BURRN!』など音楽雑誌一様に低調評価されたためか、評価今ひとつであった。現在でも、メンバーお気に入りとして挙げることも多い一方日本での評価当時ほどではないがあまり宜しくない。 このアルバム発表直後マイク・ジオネットが脱退し代わりベーシストとしてローカルバンドで活躍していたバリー・ドナヘイが加入した。またアルバム発表後ツアーでは来日予定組まれ1995年12月初来日公演が行われた。このときのライブ模様アルバムライヴ・イン・ジャパン』に収録され1996年発売された。 若干休養経て4thアルバムの制作取り掛かるが、前作売れ行き低迷を受け、人気低迷懸念したレコード会社意向により、明るくポップな曲も織り込んだ『ムード・スウィングス』のような作風求められメンバーも後にそれを認め発言をしている)、デビュー前からのストック元に選曲アレンジを行うなど、本人とすればやや不本意な形でアルバム制作進められた。結局4thアルバム1997年日本などでは『ビリーヴ (Believe)』、本国カナダでは『Karma Cleansing』という異なタイトル収録曲アートワークリリースされた。日本盤である『ビリーヴ』では、「Believe」「Die Off Hard」「Staying Away」(ダレン・スミスがリードボーカル担当)などの疾走感あふれる、メロディックな曲が歓迎され高い評価得た1997年9月には2度目来日を果たす。このツアー中にチープ・トリックの「サレンダー」をカバーしたことがきっかけとなり、パワー・ポップ風の作風シフトしていく。 1998年には5thビッグ・バン・セオリー』をリリースしたが、この作品ではバンド売り一つでもあるピート・レスペランステクニカルなギターソロや重厚なコーラス影を潜めハードなパワー・ポップという作品となったアルバム・リリース後すぐの1998年9月には早くも来日公演行い、このツアーファーストセカンドアルバムからの曲を多数演奏したが、一方「同じことは二度とやらない過去演奏はもう十分だ」といった、過去の楽曲に関して一部除き封印することを匂わせるような発言をしていた。 そして、1999年バンド一大決心下す日本以外ではバンド名を改名、「ラバーRubber)」と名乗る、つまり地域によりバンド名を変えて活動を行うという前代未聞決定下したのである日本ではハーレム・スキャーレム成功しているが、それ以外の国、特に北米では名前だけで時代遅れのヘアメタル・バンドだと思われていて音楽聴いてもらえないことが、改名最大理由となった。 それを表すかのように1999年発表され6thアルバムラバー』はハリーのハードロック・ボーカリストでは一般的な喉から押し出すような太めの声を封印しピート・レスペランスギターシングルコイル・ピックアップ搭載のものに持ち替え曲調もさわやかではあるが穏やかな軽めカントリーミュージックのようなサウンドとなり、声に聞き覚えなければブリットポップ間違うようなサウンドであった同年1112月には公演数・箇所とも過去最大規模来日公演が行われたが、前半ラバー後半ハーレム・スキャーレムというような構成をとった。 またツアー後、ドラムのダレン・スミスの脱退、新ドラマー、クレイトン・ドーンの加入日本においても「RUBBER」を名乗るという発表なされた

※この「結成 - バンド名変更まで (1987年-1999年)」の解説は、「ハーレム・スキャーレム」の解説の一部です。
「結成 - バンド名変更まで (1987年-1999年)」を含む「ハーレム・スキャーレム」の記事については、「ハーレム・スキャーレム」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「結成 - バンド名変更まで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「結成 - バンド名変更まで」の関連用語

結成 - バンド名変更までのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



結成 - バンド名変更までのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのハーレム・スキャーレム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS