結成 - メジャーデビューまで
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「いきものがかり」の記事における「結成 - メジャーデビューまで」の解説
1989年、水野と山下が小学校1年生で出会い、2人でクラスの「生き物係」を担当。 同じ厚木高校に進学した水野と山下が、1999年2月1日に音楽グループを結成し、軽い気持ちでグループ名を「生き物係」にして近所のコミュニティセンターの駐車場で初練習を行う。この日が公式ないきものがかり結成日となっている。4月12日から小田急小田原線相模大野駅前での路上ライブ活動を開始。このライブで最初に演奏したのは「Fat Mama」(山崎まさよし)。 当時の路上ミュージシャンの中では珍しかった女の子ボーカルのユニットを作ることを水野と山下が計画、その結果2人の同級生の妹である吉岡が1999年11月3日に加入して現在の3人体制となる。3人になって最初に演奏したのは「夏色」(ゆず)。水野と山下の2人組で活動していた頃は相模大野駅周辺で、主に相模女子大学高等部の女子高生を相手に演奏活動を行っていたが、吉岡の加入を機に本厚木駅や海老名駅周辺に拠点を移した。 水野と山下の大学受験を前に、いきものがかりは解散することになり、2000年9月17日、本厚木駅前の路上で解散ライブを行なった。高校卒業後、水野、山下ともに1年間の浪人(水野は仮面浪人)を経て大学へ進学し、吉岡も音大へ進学したため、いきものがかりを再開しようとした。しかし吉岡が音大での厳しい訓練で歌に挫折し活動が進まなくなり、水野が懸命に吉岡を説得しようとするも難航していた。 2003年2月、山下の説得で吉岡がいきものがかり再開を決心した。活動再開にあたり、これまでの路上ライブスタイルからライブハウスでの演奏に活動を広げるため、サポートのバンドメンバーを集めた。4月に路上ライブを再開し、6月2日、厚木市にあるライブハウス「Thunder Snake ATSUGI」にて、初めてのライブハウスでのライブでありながらワンマンでのライブを開催した。このライブに、後にいきものがかりの初代マネージャーとなるキューブのスタッフが来ていて、世の中へ出るきっかけとなった。その後も主に厚木市・海老名市などの神奈川県県央地域を中心に活動を行い、8月25日にインディーズ1stアルバム『誠に僭越ながらファーストアルバムを拵えました…』を発売した。 2004年、キューブに所属することになり、キューブ主催のレコード会社が集まるショーケースライブで、エピックレコードの目に止まりメジャーデビューへの道が決まった。このとき、同社以外からは手が上がらなかったという。2005年3月26日に初のホールでのワンマンライブを厚木市文化会館小ホールで開催した。
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