文治省
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「文治省」の解説
梁山泊の事務・内政面を担当する部署。梁山泊旗揚げと同時に創設され、事前に加入していた蕭譲や裴宣たちがそれぞれの業務を担当する。後に梁山泊が制圧下に置いた鄆城などの自由都市の行政・物流も担当する。自由都市は商いの税が徴収されないため商人が集まりやすく、物流を活性化させることで梁山泊の補給拠点として利用できるというメリットがある。 裴宣(鉄面孔目・地正星) 文治省の法規担当。1074年生まれ。身長 - 165cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)元京兆府(長安)の裁判所の孔目(書記官)。古くからの晁蓋の同志で、厳しい顔が特徴の堅物。政治の腐敗に嫌気が差して孔目を辞め、梁山泊旗揚げ後は事務方である文治省(ぶんちしょう)で法規作成・執行を司る。後に鄆城・済州など梁山泊周辺の自由都市の行政も担当する。法の公平さを重んじ、孫二娘と連携して行政に眼を光らせることで、青蓮寺による闇の金貸しなどの謀略を防ぐ。 夫・張青を亡くした孫二娘と惹かれあい結婚するが、済州で商人に化けて接近してきた史文恭に暗殺される。 『楊令伝』で孫二娘は裴宣の子供が産みたかったと顧大嫂らに漏らしている。なお孫二娘は童貫戦の後に、裴宣が遺した法と走り書きを基にして呉用、宣賛と共に国家としての梁山泊の法律を制定している。 蕭譲(聖手書生・地文星) 文治省の文書担当。1054年生まれ。身長 - 165cm、体重 - 55kg。 (水滸伝)元済州の私塾教師。他人の字を真似するのが巧く、それに目を付けた呉用がスカウト。人生最後の冒険のつもりで同志になる。宋の公文書を偽造して各方面の活動に貢献する。どこか名人気質でいつも完璧であることに拘る。その腕は手紙を偽造された秦明でさえ自分の字と思うほど。戦場に出ないことに引け目を感じつつも、自らの職務に専念する。決戦前夜、揚州に向かう。 (楊令伝)引き続き文書偽造を担当していたが、梁山泊の新寨完成後は偽造の必要が少なくなり、文治省での事務仕事が中心になる。童貫戦の最中、病に倒れるが己の人生に満足していた。彼の功績は呉用に一軍の指揮官以上と評価された。秦明や蔡京の字を見事に真似たが、晁蓋・宋江・楊令の字だけは真似できなかった。死因の多くが戦死・暗殺である梁山泊の百八星メンバーにおいて、初の天寿を全うした人物だった。 金大堅(玉臂匠・地巧星) 文治省の印鑑担当。1060年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 55kg。 (水滸伝)元印鑑職人。呉用に腕を見込まれ、梁山泊に誘われる。文治省の設立当初から蕭譲とコンビを組んで宋の公文書偽造に勤しむ。宋江が記した「替天行道」の版木製作も担当し、世に出回るきっかけを作る。痩せた鶴のような印象で、眼を細める癖がある。双頭山陥落直後には蔡京が使う特殊な印鑑を偽造し、残存兵の救出に貢献した。決戦前夜に蕭譲たちと共に揚州へ逃れる。 (楊令伝)引き続き印鑑作成を担当。指先が震えるという症状に悩まされつつも腕は衰えなかったが、童貫戦の後に倒れる。偽印ではない本物の印鑑が新しい国づくりに用いられることに誇りを抱きつつ、自らの最期を受け入れる。なお、金大堅の病床には楊令や呉用のほか史進、李俊といった同志たちが見舞いに訪れていた。 『岳飛伝』では沙門島放棄の際、湖寨時代に『母夜叉』と刻印した印鑑を金大堅からプレゼントされたことを孫二娘が回想、印鑑を源太に託して送り出した。 孫二娘(母夜叉・地壮星) 済州の物流監視・管理担当。1071年生まれ。身長 - 165cm、体重 - 45kg。 (水滸伝)張青の妻。気風のいい性格だが、愛情を確かめるために髪飾りをねだったことが、張青の人生を狂わせたことを後悔している。孟州十字波での活動を経て夫婦で入山。自由都市の物流を管理して兵站に役立てる。 張青を亡くした後に裴宣と再婚したが、皮肉にも張青を殺害した史文恭に裴宣まで暗殺された。絶望のあまり梁山泊を去ろうとしたが、同じく夫を亡くした顧大嫂に説得されて思い止まった。最終決戦直前に顧大嫂と共に非戦闘員を連れて揚州へ向かい、拠点建設に従事する。 (楊令伝)引き続き太湖の拠点である洞庭山(どうていざん)を取りまとめ、商館も経営する。陶宗旺のほかに解珍のたれのレシピを受け継いだ数少ない人物でもある。童貫戦後は交易の仕事に加えて、亡き裴宣が遺した書類を基に梁山泊で法規の整備・制定を担当する。自分を母と慕う源太に息子のような感情を抱くようになり、従者として連れ歩く。自由市場成立後は南宋の眼を掻い潜りつつ、江南での物資の流通を担当する。 (岳飛伝)沙門島で交易に従事していたが主要メンバーが集まった会議ののち、幾つか設置された交易所の差配を担当する。曹正が聚義庁を離れて交易の仕事に戻ったため、源太と共に沙門島へ戻ってきた。 状況の変化から梁山泊による物資管理が限界と判断、外部の人間である梁興に物資を扱わせることを宣凱に薦める。同時に孫(源太の息子)を本寨の学問所へ進学させ、解珍のたれのレシピを朱杏に伝授するなど自分の最期を意識した行動を執る。 韓世忠率いる南宋水軍が沙門島へ侵攻した際、源太に島の放棄と撤収を指示。沙門島の放棄は既定事項だったが、自身は少数の志願者と共に島に残留。陶宗旺が構築していた石積みを上陸部隊に使用して損害を与え、死亡する。韓世忠の命により亡骸は他の戦死者たちと共に埋葬された。
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