抜本再編とは? わかりやすく解説

抜本再編

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 05:57 UTC 版)

苫小牧市営バス」の記事における「抜本再編」の解説

1982年昭和57年4月、市の公営企業調査審議会において抜本的な路線再編成を行うべきとの意見があり、同年から1983年昭和58年)の2年間で再編成計画をまとめた。1981年昭和56年)度に行ったアンケート調査では、苫小牧環状線から錦岡に至る北西部地区便数等の不満が見られたが、他都市比較して不満度は低いことからいかにして現行水準維持するかが検討課題となった1982年昭和57年)は乗降人員調査が行われ、これらを元に計画がまとめられた。短期計画路線部分的な変更で、苫小牧環状線中心とした運行経路利用者増が見込まれる町内への乗り入れ長期計画西部地区運行拠点設置し大規模な路線再編成を行うものであった1990年平成2年12月24日大幅な路線再編行った。市西部の錦西ニュータウン営業所設置住宅から5 - 6分でバス乗れるようにと停留所30箇所増やし苫小牧駅を境として東西点在する高校公共施設直接結ぶ路線開設が行われ、これまでの29路線44系統605便が23路線32系統549便に圧縮された。西部運行拠点なかったことにより総回送距離が約900 kmにもなっていたが、約540 km低減され運行効率向上に繋がった。錦西営業所開設式典では市長が「市営バス40年の中で最大危機」と厳しい状況報告とともに路線改廃理解求めた1991年平成3年2月より再編後路線大掛かりな利用調査が行われ、1日あたり平均利用者30,194人となり利用者減少落ち着いてきていることがわかった利用者の多い路線永福三条交通部線、北口線、日新国道交通部線、澄川錦岡線の順で、東西地域直通する路線利用増やしたまた、利用者アンケート満足度全般的に向上しており、この路線再編効果発揮していることが裏付けられた。 乗客数1991年平成3年)度に1千万人の大台割り込んだその後減少幅が縮小し再編効果により歯止めかかったかのようの思われたが、1994年平成6年)度は60万人大幅減となった週休2日制浸透自転車通学増加モータリゼーション更なる進行要因で、1997年平成9年)度には850万人割り込んだ1998年平成10年4月1日苫小牧駒澤大学開学では乗客増加見込まれることから、近隣を通る路線徹底的に駒澤大学向けに変更する駒大シフト」を行った効果現れず、乗客減少歯止めをかけることはできなかった。同年度より車体全面広告開始するなど増収図った一方市営バス会計審査意見書には、バスカードシステム活用し効率的な運行による乗客確保経営改善に一層の努力期待するとの厳し意見付された。 2002年平成14年)に予定されるバス事業原則自由化では民間事業者との競争激化予想される貸切バス事業段階的に縮小され新千歳空港苫小牧港観光客受けて北海道内各地を巡る観光貸切では1996年平成8年)よりバスガイド派遣業者からの派遣切り替えた後、2000年平成12年)度をもって廃止された。以降貸切バス一般団体近隣輸送を行う一般貸切企業との契約従業員輸送等を行う特定貸切となり、一般特定とも黒字確保している。路線バス事業苫小牧市内の黒字路線道南バスあつまバス参入意向示したことからこのままでは経営健全化困難になることが予測され市営バスはどう対処すべきか問われることとなった

※この「抜本再編」の解説は、「苫小牧市営バス」の解説の一部です。
「抜本再編」を含む「苫小牧市営バス」の記事については、「苫小牧市営バス」の概要を参照ください。

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