技術的・商業的失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 17:04 UTC 版)
「Apple III」の記事における「技術的・商業的失敗」の解説
様々な理由から、Apple IIIは失敗作として見られている。 ウォズニアックによれば、Apple IIIには「100%のハードウエアに異常があった」。 初期のApple IIIは組み込みのリアルタイムクロック付きで出荷された。しかし、このハードウエアは長時間の使用で故障した。Appleは、ナショナル セミコンダクターが出荷前にすべての部品をテストしていだろうことを当てにしてこの水準のテストを実施していなかった。またAppleはこの部品をボードに直接はんだ付けしていたので、不良品のチップが見つかったとしても簡単に交換するわけには行かなかった。結局Appleは、リアルタイムクロックを搭載して出荷するのではなく、Apple IIIの仕様からこれを削除してレベル1の技術者が組み込む周辺機器として発売することで、この問題を解決してしまった。 スティーブ・ジョブズは、コンピュータの騒音をなくすために、冷却ファンも通気孔も設けないという考えにこだわった。後にジョブズは彼が指揮したApple Lisa、Macintosh 128KからiMacにいたる、ほとんどすべてのApple製品で同様のイデオロギーを押し通した。コンピュータからの熱を放散させるため、Apple IIIのベースは重量のある鋳造アルミニウムで作られており、これが放熱器として機能するはずだった。アルミ製のケースの明らかな利点のひとつは、歴代のApple IIを悩ませ続けた無線妨害 (RFI) の問題を軽減することだった。電源部は、Apple IIシリーズのような独立したカバーを持たず、ロジックボードから分離された専用のコンパートメントの中に搭載された。このアルミ製のケースを使うという決定が、最終的にはApple IIIの信頼性の問題へと連なる技術的な障害を引き起こした。ケースの製造には長い時間がかかり、このケースがなければマザーボードを完成させることができなかった。やがてマザーボードには十分な余地がなく、すべての部品を搭載するためにはプリントパターンの幅を縮めなくてはならないことが明らかになった。 BYTE誌が述べているように、「ICがそのソケットからさまよいでる傾向がある」ことからApple IIIの故障が多発した。Apple IIIで多発した発熱によるトラブルは、不十分な冷却と、効果的に熱を放散する能力の欠如によるものだと言われている。この問題に対処するため、後になってApple IIIには放熱器が取り付けられたが、それでもなおケースの設計が原因で十分な放熱を行うことはできなかった。あるユーザーは、そのApple IIIがボードからICチップが飛び出すほど熱くなって画面には意味不明のデータが表示され、あるいはディスクがスロットの中で「溶けて」しまう、と述べている。テクニカルマニュアルには、ある種の問題に遭遇した場合にICチップをロジックボードにしっかり挿入するために、マシンを3インチ (76mm) ほど持ち上げてから落下させる方法が説明されていた。 ケースの設計者であるジェリー・マノックは、マシンが適切に内部の熱を放散させられることはテストによって証明されていたと述べて、設計の欠陥であるという非難を否定する。そして第一の原因はロジックボードの設計上の問題にあると主張している。このロジックボードは細いプリントパターンを狭いピッチで走らせる“fineline”テクノロジーを用いて設計されていたが、この技術は設計当時、十分に成熟したものではなかった。チップがボードに挿入されたあと、ボードはウェーブソルダリングにかけられるが、このとき本来接続されるべきではないパターンの間に、はんだブリッジが形成される。この結果、無数のショートサーキットが生じて、コストのかかる長時間の診断と手作業による修正が必要になった。Appleは基板層数を増やして、通常のパターン幅をもった新しい回路基板を設計した。新しい基板のレイアウトは、それまでのボードで使われていた高価なCAD-CAMシステムではなく、たった一人の設計者によって膨大な数の製図板を使って設計され、そしてうまく動いた。通常のパターン幅で設計されたボードには、すべての部品を搭載できるだけの余地はなかったので、RAMのための独立したドーターボードを既存のヒートシンクに合わせて設計しなくてはならなかった[要出典]。 深刻な安定性に関する問題のため、設計の全般的な見直しと製品のリコールを余儀なくされた。Apple IIIは開発と生産が1984年4月24日に打ち切られ、またIII Plusは1985年9月にAppleの製品ラインから姿を消した。 ロジックボードの設計上の欠陥が明らかになると、ただちに新たな設計のボードが製作された。このボードには低消費電力の回路、幅の広いプリントパターン、改良されたICソケットなどが織り込まれた。この3,495USドルの改良版のマシンにはさらに、256KバイトのRAMが標準構成として搭載された。販売済みだった14,000台のオリジナルのApple IIIは返送されて完全な新品の改良版に交換された。 数々の安定性の問題や製品リコールにも関わらず、Appleはついには信頼性を備えた実用的なバージョンのApple IIIを製造できるようになった。しかしすでにこのマシンの悪い評判は確固としたものになっており、これが直接的な原因となって商業的に成功することはできなかった。最終的には65,000〜75,000台のApple IIIコンピュータが販売されたと見積もられており、Apple III Plusを含めると約120,000台に達した。 Appleの共同創業者であるスティーブ・ウォズニアックは、「システムの開発がそれまでのAppleのやり方だった技術者主導ではなく、販売部門によって行われたことがApple IIIの失敗の第一の原因だった」と述べている。Apple IIIの失敗によって、AppleはApple IIを段階的に廃止していくという計画の再評価を迫られ、結局古いマシンの開発を継続することになった。この結果、後のApple IIのモデルは、熱転写プリンターのApple Scribe Printerなどのハードウェアや、Apple IIIのソフトウエア技術が組み合わされるようになった。 販売開始時点での価格は4,340USドルから7,800USドルで、当時販売されていたCP/Mベースのビジネスコンピュータの大部分よりもずっと高価だった。VisiCalcのほかにはApple III用のソフトウエアはほとんど手に入らなかった。またこのマシンはApple II互換として売られていたが、そのエミュレーション機能は意図的に制限されており、このためApple IIIの改良された機能(とりわけ、膨大な数のPASCALベースのApple II用ソフトウエアで必要な64Kバイトを越えるRAMへのアクセス)が使用できなくなっており、その有用性を損なっていた。
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