性格・趣味嗜好・体型など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:53 UTC 版)
「アルフレッド・ヒッチコック」の記事における「性格・趣味嗜好・体型など」の解説
ヒッチコックは生来、内気であまり人と付き合いたがらない人物だった。アメリカ時代もパーティーに出席したりするなどの社交的なことには興味がなく、パーティーではしばしばテーブルで眠り込んでしまうことがあったという。ヒッチコックは若い頃から、さまざまな恐るべきことが突如として自分の身にふりかかることを恐れ、常に最悪の事態を予期してそれに備えていた。その一方でヒッチコックはいたずらをするのが大好きで、それは単純なからかい程度のものから、相手に大きな迷惑をかける酷いものまで様々だった。例えば、ロンドンでディナー・パーティーをした時には、青い食べ物を見たことがないという理由で、提供された食べ物のすべてを青色に染めたという。またある時には、友人のジェラルド・デュ・モーリエに派手な仮装をさせて自宅のパーティーに招いたが、モーリエ以外の客は全員黒の蝶ネクタイを付けて盛装しており、一人だけ仮装をしてきたモーリエに恥をかかせるといういたずらを仕掛けた。 ヒッチコックはあまり贅沢を好まず、比較的質素な生活を送った。服装も地味で、ダークブルーのスーツと白いワイシャツ、ネクタイを着用した。秩序と習慣を重んじたヒッチコックは、毎日この同じ服を着用しており、衣類ダンスにはまったく同じスーツが6着、同じ靴が6足、同じネクタイが10本、同じワイシャツが15枚、同じ靴下が15足入っていたという。ヒッチコックの唯一で最大の贅沢は食事であり、定期的に食通好みの珍味を調達したり、毎月イギリスからベーコンやドーバー産の舌平目を空輸で取り寄せ、それをロサンゼルスの燻製保蔵処理会社に借りたスペースに山のように貯蔵したりするなど、料理や食材にこだわる美食家として知られた。ワイン好きとしても知られ、自宅のワイン貯蔵室にはたくさんの年代物のワインを置いていた。1960年にはフランスのディジョンで行われたブルゴーニュワイン・フェスティバルで利き酒の名手であることを示す綬章を贈られた。また、パウル・クレーやジョルジュ・ルオー、ラウル・デュフィ、モーリス・ユトリロ、モーリス・ド・ヴラマンクなどの画家の作品を収集した。 サスペンス映画を多数手がけたヒッチコックは、子供の時から犯罪や異常で悪質な行動に対して高い関心を示し、休みの日にはロンドンの中央刑事裁判所(オールド・ベイリー(英語版))で殺人事件の公判を見学してノートに記録したり、スコットランドヤードの犯罪博物館(英語版)を何度も訪れたりした。1937年に家族とアメリカへ観光旅行した時も、ロウアー・マンハッタンの警察に立ち寄り、面通しを見学したり、収監手続きや尋問などの専門的な問題に夢中になるなど、観光には相応しからぬことをして妻を当惑させたという。スポトーは「恐怖をあつかう芸術家のなかにも、ヒッチコックほど犯罪について該博な知識をもっている人はほとんどいない」と述べている。また、10代のころから広く小説を読むようになったが、愛読したのはエドガー・アラン・ポー、G・K・チェスタトン、ジョン・バカンなどの推理小説やサスペンス小説だった。 ヒッチコックは子供の時から肥満体型であり、1939年末には体重が約165キロに達し、太り過ぎで背中の痛みに苦しんだ。ヒッチコックの普段の食事はローストチキンにボイルドハム、ポテト、野菜料理、パン、ワイン1瓶、サラダ、デザート、そしてブランデーだったが、1943年には食事療法を試み、朝と昼はブラックコーヒーだけ、夕食は小さなステーキとサラダだけを食べた。その結果、約50キロの減量に成功し、それを記念に残すため『救命艇』のカメオ出演として、減量前と後の写真を劇中に登場する新聞のやせ薬の広告で使用した。ヒッチコックによると、この映画を見た肥満体型の人たちから、このやせ薬の入手方法を教えて欲しいという内容の手紙が殺到したという。しかし、減量を続けるのは難しく、1950年までに体重は元に戻り、それどころか前よりもさらに体重が増えてしまった。それでもヒッチコックの肥満体型は、自作へのカメオ出演や『ヒッチコック劇場』のホスト役を通じて自身のトレードマークとなり、山田宏一は「チャップリンの放浪紳士のスタイルと同じくらい有名になった」とさえ述べている。
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