德川家靈廟とは? わかりやすく解説

徳川家霊廟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/27 14:32 UTC 版)

日光東照宮(陽明門)
増上寺台徳院霊廟惣門
輪王寺大猷院霊廟
寛永寺厳有院霊廟勅額門
寛永寺常憲院霊廟勅額門
増上寺旧文昭院霊廟奥院中門(現在は増上寺徳川家墓所の入口)
増上寺有章院霊廟二天門

徳川家霊廟(とくがわけれいびょう)は、江戸幕府将軍職を務めた徳川将軍家歴代の墓所のことで、江戸(現・東京)の寛永寺増上寺、及び栃木県日光輪王寺にある[注釈 1]江戸時代の華麗な建築技術・意匠の粋を集めた建築群として日光東照宮と並び称されるが、このうち寛永寺と増上寺の霊廟は、大部分の建物が1945年昭和20年)の戦災で焼失した。

徳川歴代将軍の霊廟所在地

  1. 徳川家康1543年 - 1616年
    久能山東照宮日光東照宮
  2. 徳川秀忠1579年 - 1632年、家康の三男)
    増上寺 台徳院霊廟
    増上寺 崇源院霊牌所
    ※没後、崇源院霊屋が増上寺に建てられたが、秀忠の没後、崇源院は台徳院霊廟に祀られた。建物(旧崇源院霊屋)は正保4年(1647年)、鎌倉の建長寺に移築され、仏殿となった。
  3. 徳川家光1604年 - 1651年、秀忠の次男)
    輪王寺 大猷院霊廟
    ※法要を寛永寺で行い輪王寺に埋葬された。寛永寺の霊廟は、1720年(享保5年)に焼失し再建されず、霊牌は巌有院廟に合祀された。
  4. 徳川家綱1641年 - 1680年、家光の長男)
    寛永寺 厳有院霊廟
  5. 徳川綱吉1646年 - 1709年、家光の四男)
    寛永寺 常憲院霊廟
  6. 徳川家宣1662年 - 1712年、家光の三男甲府城綱重の長男)
    増上寺 文昭院霊廟
  7. 徳川家継1709年 - 1716年、家宣の四男)
    増上寺 有章院霊廟
  8. 徳川吉宗1684年 - 1751年御三家で、紀州家2代光貞の四男、家康の曾孫)
    墓所:寛永寺、常憲院霊廟に合祀。院号:有徳院
    ※吉宗は1720年(享保5年)御霊屋建立禁止令を出し、以降大規模な霊廟は建築されず、寛永寺か増上寺のいずれかの霊廟に合祀し、宝塔か霊牌所が建立された。
  9. 徳川家重1711年 - 1761年、吉宗の長男)
    墓所:増上寺、有章院霊廟に合祀。院号:惇信院
  10. 徳川家治1737年 - 1786年、家重の長男)
    墓所:寛永寺、厳有院霊廟に合祀。院号:浚明院
  11. 徳川家斉1773年 - 1841年御三卿で、一橋家2代治済の長男、吉宗の曾孫)
    墓所:寛永寺、厳有院霊廟に合祀。院号:文恭院
  12. 徳川家慶1793年 - 1853年、家斉の二男)
    墓所:増上寺、文昭院霊廟に合祀。院号:慎徳院
  13. 徳川家定1824年 - 1858年、家慶の四男)
    墓所:寛永寺、常憲院霊廟に合祀。院号:温恭院
  14. 徳川家茂1846年 - 1866年、家斉の七男で紀州家11代斉順の長男)
    墓所:増上寺、文昭院霊廟に合祀。院号:昭徳院
  15. 徳川慶喜1837年 - 1913年、御三家で、水戸家9代斉昭の七男、一橋家9代当主)
    墓所:谷中寛永寺墓地(後継将軍がいないため合祀できず、谷中霊園内に神道形式で埋葬した)

現存する霊廟建築

久能山東照宮

家康が埋葬されている神廟
  • 初代家康を祀る社殿(本殿・石の間・拝殿)と、家康が埋葬されている神廟(廟所)がある。

家康の一周忌を前に(1617年3月〜4月)日光へ分祀された。分祀後の1617年12月に社殿が完成し、東照宮の原型となる。社殿は国宝、神廟他は重要文化財に指定されている。

日光

  • 日光東照宮 - 初代家康を祀る。
  • 輪王寺大猷院霊廟 - 3代家光を祀る。

以上の建築群は国宝および重要文化財に指定され、世界遺産にも登録されている。

寛永寺

厳有院(4代家綱)と常憲院(5代綱吉)の霊廟があったが、1945年(昭和20年)、大部分が空襲で焼失。焼け残った以下の建築が重要文化財に指定されている。

  • 厳有院霊廟 勅額門、水盤舎、奥院唐門、奥院宝塔(附 浚明院(徳川家治)宝塔、文恭院(徳川家斉)宝塔)
  • 常憲院霊廟 勅額門、水盤舎、奥院唐門、奥院宝塔(附 有徳院(徳川吉宗)宝塔、孝恭院(徳川家基)宝塔、温恭院(徳川家定)宝塔、天璋院(徳川家定夫人)宝塔)

8代吉宗、13代家定の宝塔は常憲院霊廟、10代家治、11代家斉の宝塔は厳有院の霊廟の敷地内に建っている。

増上寺

台徳院(2代秀忠)、崇源院(秀忠夫人)、文昭院(6代家宣)、有章院(7代家継)の霊廟と、9代家重、12代家慶、14代家茂の宝塔があったが、1945年(昭和20年)、大部分が空襲で焼失。焼け残った以下の建築が重要文化財に指定されている。

  • 台徳院霊廟 惣門(芝公園・ザ・プリンス パークタワー東京内)
  • 台徳院霊廟 勅額門、丁字門、御成門(以上3棟は埼玉県所沢市に移築)
  • 有章院霊廟 二天門(芝公園・東京プリンスホテル内)

秀忠夫人崇源院霊廟の一部は鎌倉建長寺に移築された。霊廟跡地は、東京プリンスホテル(文昭院、有章院等)、ザ・プリンス パークタワー東京(台徳院、崇源院等)となっている。

これらの霊廟に祀られていた遺体は、1958年(昭和33年)に改葬され、墓所は増上寺安国殿裏の徳川家墓所に移転している。同墓所の入口の門は、もと文昭院霊廟の奥院の門だったもの。同墓所には以下の8基の宝塔が移築されている。

  • 文昭院(徳川家宣)宝塔(銅造) - 改葬後は天英院(家宣夫人)を合葬する
  • 崇源院(徳川秀忠夫人)宝塔(石造) - 改葬後は台徳院(秀忠)を合葬する(台徳院宝塔は木造であったため戦災で焼失)
  • 有章院(徳川家継)宝塔(石造)
  • 惇信院(徳川家重)宝塔(石造)
  • 慎徳院(徳川家慶)宝塔(石造)
  • 昭徳院(徳川家茂)宝塔(石造)
  • 静寛院宮(徳川家茂夫人)宝塔(銅造)
  • 月光院(徳川家継母)宝塔(石造) - 改葬後は将軍の生母・側室等の合祀塔となっている

現存する宝塔の画像

高野山

高野山徳川家霊台
徳川家霊台 家康
徳川家霊台 秀忠

高野山塔頭・蓮花院は松平家時代より徳川家の菩提所・宿坊であった。文禄3年(1594年)の家康参詣を機に大徳院と改称、方の本寺となる。

3代家光により初代家康と2代秀忠の霊廟は大徳院にも建築された(徳川家霊台南院の裏手にあるが、現在は金剛峰寺の所有)。国の重要文化財および世界遺産に指定されている。

  • 安国院殿霊廟(家康)
  • 台徳院殿霊廟(秀忠)

明治期に大徳院は他の塔頭寺院と合併して金剛峯寺門前に移り、旧名の蓮花院に復したが、現在も徳川家歴代や大奥関係の位牌が祀られている。ちなみに奥の院には松平秀康および同母の霊屋(蓮花院の所有)があり、そちらも国の重要文化財および世界遺産に指定されている。

現存しない霊廟建築画像

脚注

注釈

  1. ^ 江戸時代には、江戸城内の紅葉山に東照宮(紅葉山東照宮)が鎮座して歴代将軍の廟も併設されていたが、戊辰戦争江戸開城で徳川宗家が退去するに伴い撤廃された。

関連項目

  • 東照宮
  • 伝通院
  • 輪王寺
  • 大樹寺
  • 龍華院
    家光の霊廟(大猷院霊屋)があるが、当時の掛川藩主・北条氏重が(各地の東照宮のように)家光にあやかって建築したものである。化政期に焼失し、太田資始によって再建されている。静岡県の有形文化財に指定されている。
  • 江戸東京たてもの園 - 旧自証院霊屋(家光側室自証院霊廟)が移築保管されている。
  • 長昌院霊廟 - 寛永寺にあった徳川家宣母、長昌院の墓所。東京大空襲で焼失した。
  • 清揚院霊廟 - 増上寺にあった徳川家光の三男で家宣の父、綱重の墓所。東京大空襲で焼失した。
  • 長保寺 - 紀州徳川家墓所。
  • 瑞龍山 - 水戸徳川家墓所。
  • 建中寺 - 元尾張徳川家墓所。現在は歴代の墓は撤去されて定光寺の納骨堂に収められている。
  • 東京プリンスホテル - 有章院霊廟跡地に建てられている。
  • ザ・プリンス パークタワー東京 - 台徳院、崇源院霊廟跡に存在した芝ゴルフ場跡地に建てられた。

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、徳川家霊廟に関するカテゴリがあります。

徳川家霊廟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 16:40 UTC 版)

増上寺」の記事における「徳川家霊廟」の解説

詳細は「徳川家霊廟」を参照 増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠家宣家継家重家慶家茂)が葬られている。 第二次世界大戦前には台徳院(秀忠霊廟崇源院秀忠夫人霊牌所、文昭院(家宣霊廟有章院家継霊廟旧・国宝(建造物)に指定されており、その壮大さ日光東照宮引けを取らないのだったが、1945年昭和20年)に2度空襲があり3月10日に北廟68棟が被災、続く5月25日に南廟28棟が被災し、その建造物群のほとんどを焼失した2021年令和3年)現在は台徳院霊廟の門4棟有章院霊廟二天門文昭院霊廟奥院中門(鋳抜門)、ならびに文昭院・有章院等の宝塔8基(後述)を残すのみである。 焼け残った建築のうち以下のものが重要文化財指定されている。 台徳院霊廟 惣門芝公園ザ・プリンスパークタワー東京内) 台徳院霊廟 勅額門、丁字門、御成門(以上3棟ホテル建設際し埼玉県所沢市ユネスコ村(現・狭山不動尊)に移築されている) 有章院霊廟 二天門芝公園東京プリンスホテル内)柵で仕切られており、塗装随所剥げ落ち老朽化激しかったが、平成の大改修2015年平成27年)より約3年の期間をかけて大規模な保存修理工事行われた。 これらの霊廟祀られていた遺体は、1958年昭和33年調査発掘されその後桐ヶ谷斎場にて火葬された。徳川家墓所増上寺安国殿の裏手に移転している。同墓所入口の門(造)は、もとは文昭院霊廟奥院中門だったもの。霊廟跡地は、東京プリンスホテル(文昭院、有章院等)、ザ・プリンスパークタワー東京(台徳院、崇源院等)となっている。秀忠夫人の旧・崇源院霊牌所の一部正保4年1647年)に鎌倉建長寺建替えのため移築され現存する増上寺隣接する芝東照宮は、元は家康祀る増上寺安国殿であったが、神仏分離令の折に独立し神社化された。安国殿は増上寺の中で有力な支院で寺は反対したが、独立阻止できなかった。 改葬後の増上寺徳川家墓所に立つ宝塔被葬者下記の通り。 旧・崇源院宝塔石造) - 第二代将秀忠(台徳院)、同夫人崇源院)の墓塔。台徳院宝塔戦災焼失したため、元の崇源院宝塔夫妻合祀されている。墓所内、入口から見て右列のもっとも奥にある。 旧・文昭院宝塔造) - 第六家宣(文昭院)、同夫人天英院)の墓塔墓所内、左列のもっとも奥にある。 有章院宝塔石造) - 第七家継有章院)の墓塔墓所内、右列の秀忠夫妻の手前にある。 惇徳院宝塔石造) - 第九家重(惇徳院)の墓塔墓所内、右列の家継の手前にある。 慎徳宝塔石造) - 第十二代家慶慎徳院)の墓塔墓所内、右列のもっとも手前にある。 昭徳院宝塔石造) - 第十四代家茂(昭徳院)の墓塔墓所内、左列の家宣夫妻の手前にある。 静寛院宮宝塔造) - 家茂夫人和宮静寛院)の墓塔墓所内、左列の家茂の手前にある。 合祀塔(石造) - 墓所内、左列のもっとも手前にある。家宣の父・綱重(清揚院)、五代綱吉生母桂昌院十一代家斉正室広大院十三家定正室天親院家宣側室月光院家斉側室契真院家慶側室である見光院殊妙院。その他計35名の将軍家ゆかりの子女が合祀されている。合祀以前それぞれ宝塔・墓が独立していた。2021年令和3年現在の合祀塔は、元は月光院宝塔であった徳川家墓所門(2019年令和元年11月撮影第二秀忠、同夫人宝塔2019年令和元年11月撮影第六家宣、同夫人宝塔2019年令和元年11月撮影第七家継宝塔2019年令和元年11月撮影第九家重宝塔2019年令和元年11月撮影第十二代家慶宝塔2019年令和元年11月撮影第十四代家茂宝塔2019年令和元年11月撮影家茂夫人宝塔2019年令和元年11月撮影合祀塔(2019年令和元年11月撮影

※この「徳川家霊廟」の解説は、「増上寺」の解説の一部です。
「徳川家霊廟」を含む「増上寺」の記事については、「増上寺」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「德川家靈廟」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

德川家靈廟のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



德川家靈廟のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの徳川家霊廟 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの増上寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS