おうじょうようしゅう〔ワウジヤウエウシフ〕【往生要集】
往生要集
読み方:オウジョウヨウシュウ(oujouyoushuu)
おうじょうようしゅう 【往生要集】
往生要集〈中/〉
主名称: | 往生要集〈中/〉 |
指定番号: | 2446 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 長徳二年七月二十六日僧長胤書写奥書 |
員数: | 1帖 |
時代区分: | 平安 |
年代: | 996 |
検索年代: | |
解説文: | 源信撰の『往生要集』の平安時代中期長徳二年(九九六)の書写になる本で、巻中の一帖のみを存している。 体裁は粘葉装、現状は後補の緞子の表紙を装しているが、本文料紙と共紙の原表紙を存し、その中央に「往生要集〈中/〉」と後筆の墨書外題がある。料紙は斐交り楮紙に押界を施して用い、首題は「往生要集巻中盡第六別時念佛門」とあり、その右下の表紙見返部分に「〈二本/〉天台首楞嚴院沙門源信撰」と撰者名が別筆で書き加えられている。本文は見開き面で半葉八行書き、糊付面は一行分を糊代として半葉七行書きで、一行一四~一六字に通帖一筆に書写しているが、現状では帖中に十丁分の落丁がある。文中、帖末の余白に至るまで墨書の脱文補入、注記、校異等の書入れが多数あり、また全文にわたって朱の仮名、ヲコト点(第五群点)、墨の仮名が付されている。このうち朱の訓読点は本文の書写と同時期のものと認められ、そのヲコト点から比叡山の僧侶の手になるものと考えられる。帖末には尾題に次いで「長徳二年七月廿六日寫了、長胤」と書写奥書があって書写年時を明らかにしている。長胤については詳らかでないが、長徳二年(九九六)は寛和元年(九八五)の『往生要集』撰述の一一年後にあたり、源信在世中(九四二-一〇一七)の写本として注目される。 なお、本帖は原表紙と帖首に「法隆寺聖霊院」の朱方印が捺されており、もと法隆寺に伝来したもので、表紙に「顕実」「顕真」と伝領墨書があり、この顕真は『聖徳太子伝私記』の著者顕真と同一人物の可能性がある。 |
往生要集〈上中下/〉
主名称: | 往生要集〈上中下/〉 |
指定番号: | 2445 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 3帖 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 恵心僧都源信の撰になる『往生要集』の平安時代後期の写本である。 粘葉装三帖からなり、表紙は本文料紙と共紙の原表紙で、外題はない。料紙は楮交り斐紙に押界を施して用い、各帖とも「往生要集巻上盡第四門半天台首楞嚴院沙門源信撰」(上帖)の如く首題があり、半葉七行、一行一七~二〇字に端正な書風で全帖一筆に書写しており、下帖の末には「永観二年」云々の源信撰述記を書写している。文中まれに後筆の書き入れ、擦消訂正があるほか、全帖にわたって訓読を示す朱書の仮名、ヲコト点(宝幢院点)および墨書の仮名が付されている。書写等の奥書はないが、書風等よりみて十一世紀後半頃の書写になるものと認められ、文中の朱書の訓点も本文とほぼ同時期のもので、ヲコト点に宝幢院点を用いているところから比叡山の僧侶の手になるものと認められる。 本帖は寺伝では最明寺開山の浄蓮坊源延の所持本と伝えて秘蔵され、近時その存在が紹介されたもので、『往生要集』の現存諸本中で完存するものとしては後掲の青蓮院本に先行する最古本と認められ『往生要集』研究上に貴重である。また本文中に加えられた訓点は、平安時代における『往生要集』の読み方を伝えて、国語学研究上にも貴重である。 |
往生要集〈上中下/〉
主名称: | 往生要集〈上中下/〉 |
指定番号: | 2450 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 承安元年十二月十一日僧弘恵書写奥書 |
員数: | 3帖 |
時代区分: | 平安 |
年代: | 1171 |
検索年代: | |
解説文: | 源信撰の『往生要集』の平安時代後期承安元年(一一七一)写本である。 三帖からなり、体裁は粘葉装、巻中、巻下には茶地の原表紙を存している。料紙は斐交り楮紙に押界を施して用い、各帖とも「往生要集巻上盡第四門半」の如く首題があり、「天台首楞嚴院沙門源信撰」と撰者名が別筆で加えられている。本文は半葉七行、一行一七~二〇字に全帖一筆に端正に書写し、各帖首尾を完存している。文中には全帖にわたって本文と同筆の墨仮名が付されるほか、まま後筆の墨書書入れ、校異等がある。下帖の末には「永観二年」云々その源信撰述記に次いで、延久二年(一〇七〇)四月十日の加点本奥書、さらに承安元年(一一七一)十二月十一日の沙門弘恵書写奥書があって書写年時を明らかにしている。この青蓮院本は、『往生要集』の完存本としては前期最明寺本に次ぐが、書写年時の明らかにするものとしては最古の完本であり、『往生要集』研究上に貴重である。 なお、書写奥書にみえる弘恵については詳らかでないが、各帖とも末に伝領者として英弘、十達の名がみえ、巻中の見返には「南都勧修坊」と墨書があり、英弘は興福寺の聖教中にもその名が見える鎌倉時代前期の僧で、本帖がもとは南都に伝わったことを明らかにしている。各帖に慶安三年(一六五〇)の尊純の感得記があるので、その頃に青蓮院に入ったものと考えられる。 |
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