往生要集とは? わかりやすく解説

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おうじょうようしゅう〔ワウジヤウエウシフ〕【往生要集】

読み方:おうじょうようしゅう

仏教書3巻源信著。寛和元年985成立。諸経論中より往生要文抜粋し往生浄土の道を説いたもの。日本浄土教画期的な影響与えた


往生要集

読み方:オウジョウヨウシュウ(oujouyoushuu)

平安時代仏教書源信著。


おうじょうようしゅう 【往生要集】

源信恵心)著。三巻または六巻。仏教経論数十部の中から往生極楽に関する要文集め、自らの浄土思想述べたもの。比叡山横川の首厳院で九八四(永観二)一一月より翌年四月までの間に著述その後日本浄土信仰発展、および文学・芸術にまで大影響を与えた完成翌年には中国もたらされ宋朝王真宗はじめ多く帰依者が出た。→ 源信

往生要集〈中/〉

主名称: 往生要集〈中/〉
指定番号 2446
枝番 00
指定年月日 1989.06.12(平成1.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 長徳二年七月二十六日僧長書写奥書
員数 1帖
時代区分 平安
年代 996
検索年代
解説文:  源信撰の『往生要集』の平安時代中期長徳二年(九九六)の書写になる本で、巻中の一帖のみを存している。
 体裁粘葉装現状は後補の緞子表紙装しているが、本文料紙共紙の原表紙存し、その中央に「往生要集〈中/〉」と後筆の墨書外題がある。料紙は斐交り楮紙に押界を施して用い首題は「往生要集巻中盡第六別時念佛門」とあり、その右下表紙見返部分に「〈二本/〉天台首楞嚴院沙門源信撰」と撰者名が別筆で書き加えられている。本文見開き面で半行書き、糊付面は一行分を糊代として半行書きで、一行一四一六字に通帖一筆書写しているが、現状では帖中に十丁分の落丁がある。文中、帖末の余白に至るまで墨書脱文補入、注記校異等の書入れ多数あり、また全文わたって仮名ヲコト点第五群点)、墨の仮名付されている。このうち訓読点は本文書写同時期のものと認められ、そのヲコト点から比叡山僧侶の手になるものと考えられる。帖末には尾題に次いで長徳二年七月廿六日寫了、長胤」と書奥書があって書写年時明らかにしている。長胤については詳らかでないが、長徳二年(九九六)は寛和元年(九八五)の『往生要集』撰述一一年後にあたり源信在世中(九四二-一一七)の写本として注目される
 なお、本帖は原表紙と帖首に「法隆寺聖霊院」の方印が捺されており、もと法隆寺伝来したもので、表紙に「顕実」「顕真」と伝領墨書があり、この顕真は『聖徳太子伝私記』の著者顕真同一人物可能性がある。

往生要集〈上中下/〉

主名称: 往生要集〈上中下/〉
指定番号 2445
枝番 00
指定年月日 1989.06.12(平成1.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 3帖
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  恵心僧都源信の撰になる『往生要集』の平安時代後期写本である。
 粘葉装三帖からなり表紙本文料紙共紙の原表紙で、外題はない。料紙交り斐紙に押界を施して用い、各帖とも「往生要集巻上盡第四半天首楞嚴院沙門源信撰」(上帖)の如く首題があり、半七行、一行一七二〇字に端正な書風で全帖一筆書写しており、下帖の末には「永観二年」云々源信撰述記を書写している。文中まれに後筆の書き入れ、擦消訂正があるほか、全帖にわたって訓読を示す朱書仮名ヲコト点宝幢院点)および墨書仮名付されている。書写等の奥書はないが、書風等よりみて十一世後半頃の書写になるものと認められ文中朱書訓点も本文とほぼ同時期のもので、ヲコト点宝幢院点を用いているところから比叡山僧侶の手になるものと認められる
 本帖は寺伝では最明寺開山浄蓮坊源延の所持本と伝えて秘蔵され近時その存在紹介されたもので、『往生要集』の現存諸本中で完存するものとしては後掲青蓮院本に先行する最古本と認められ『往生要集』研究上に貴重である。また本文中に加えられ訓点は、平安時代における『往生要集』の読み方伝えて国語学研究上にも貴重である。

往生要集〈上中下/〉

主名称: 往生要集〈上中下/〉
指定番号 2450
枝番 00
指定年月日 1989.06.12(平成1.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 承安元年十二月十一日僧弘恵書写奥書
員数 3帖
時代区分 平安
年代 1171
検索年代
解説文:  源信撰の『往生要集』の平安時代後期承安元年一一七一)写本である。
 三帖からなり体裁粘葉装、巻中、巻下には地の原表紙存している。料紙は斐交り楮紙に押界を施して用い、各帖とも「往生要集巻上盡第四門半」の如く首題があり、「天台首楞嚴院沙門源信撰」と撰者名が別筆で加えられている。本文は半七行、一行一七二〇字に全帖一筆端正書写し、各帖首尾を完存している。文中には全帖にわたって本文同筆の墨仮名付されるほか、まま後筆の墨書書入れ校異等がある。下帖の末には「永観二年」云々その源信撰述記に次いで延久二年(一〇七〇)四月十日加点本奥書、さらに承安元年一一七一)十二月十一日の沙門弘恵書写奥書があって書写年時明らかにしている。この青蓮院本は、『往生要集』の完存本としては前期最明寺本に次ぐが、書写年時明らかにするものとしては最古完本であり、『往生要集』研究上に貴重である。
 なお、書写奥書にみえる弘恵については詳らかでないが、各帖とも末に伝領者として英弘、十達の名がみえ、巻中の見返には「南都勧修坊」と墨書があり、英弘は興福寺聖教中にもその名が見え鎌倉時代前期の僧で、本帖がもとは南都伝わったことを明らかにしている。各帖に慶安三年一六五〇)の尊純の感得記があるので、その頃青蓮院入ったものと考えられる
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往生要集

読み方:オウジョウヨウシュウ(oujouyoushuu)

分野 仏教書

年代 平安中期

作者 源信


往生要集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 23:22 UTC 版)

往生要集(おうじょうようしゅう)は、比叡山中、横川(よかは)の恵心院に隠遁していた源信[1]が、寛和元年(985年)に、浄土教の観点より、多くの仏教経典論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、1部3巻からなる。


  1. ^ 別名、恵心僧都。
  2. ^ a b 『はじめて学ぶ七高僧』を参考。
  3. ^ 法然『選択本願念仏集』 大橋俊雄校注、岩波書店(岩波文庫 青340-1)、1997年、P37〜39より引用。
  4. ^ 当時の庶民の生活状況は、天災・戦禍などにより生活が逼迫していた。
  5. ^ ワイド版も刊行(1994年9月)。元版は『日本思想大系6 源信』石田瑞麿校注(岩波書店、1970年、新装版1991年)。旧岩波文庫版は花山信勝訳註(復刊1988年)
  6. ^ 元版は『日本の名著4 源信』川崎庸之責任編集、中央公論社。なお講談社学術文庫で、中村元『往生要集を読む』が再刊(元版は岩波書店)。


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