形式変更と後天的改良・北海道への運用域拡大
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「国鉄キハ04形気動車」の記事における「形式変更と後天的改良・北海道への運用域拡大」の解説
1957年(昭和32年)の形式称号改定で、両数が増加した気動車の形式の整理が行われ、キハ41000グループについては、搭載機関の相違を根拠としてキハ04形・キハ05形・キハ06形の3形式に区分・改番された。また塗装についても、1959年(昭和34年)からは、ウインドシルより上をクリーム4号に、腰板部を朱色4号とした2色塗りに変更された。なお、使用線区によっては、幕板部の一部または全てを朱色4号に塗られた車両もあった。 これに先立ち、ディーゼルエンジン化の過程で41000・42000形機械式気動車各車では、トルク増大の影響から起動時に駆動軸周りの車軸・車輪スポークの折損事故が多発したため、1952年には早くもキハ41500形63両の動軸を、細く脆弱な部分のある在来型(図面番号VC4394タイプ)から、脆弱部の段差をテーパー状にして強化した車軸(図面番号VC4383タイプ)に交換している。もっともこの折損現象は、単なる強度不足ではなく、起動時に車輪踏面と軌条面との間に粘着とすべりが短い周期で繰り返されて動軸に発生した捩り振動が、自励振動の形を採ることで(本来は相応に強度がある)動軸の亀裂・折損に至るという、単純ならざる原因で多発したものであった。これが解明されたのは1954年末からの鉄道技術研究所による精密な解析の結果であるが、対策は速やかには進まず、1955年9月には相模線でキハ41314が車軸折損による横転事故を起こしている。結局、41300・41400・41500の各形式合計135両の動輪は、圧延一体車輪導入とセットで太さを増した1954年設計の新車軸(図面番号VC4446タイプ)に1955-1956年に交換され、追ってエンジンを制御するガバナを改良型のニューマチック・ガバナとすることで、ようやく自励振動発生・折損の抑制に至っている。 なお、41000形気動車に起源をもつ気動車はその簡易な構造上、本来は酷寒地に向く車両ではなかったが、1951年のディーゼル化改造開始以降は室蘭本線・日高本線を皮切りに北海道の路線への転用も増え、多くはスノープラウ装着や、液体式気動車同様に軽油燃焼式暖房器(三国ヴェバスト式または五光式)を搭載するなど各種の寒冷地対策を施されて、名寄本線のような酷寒地域の路線にまで運用された。1954年以降渡道する41000系列が増加、1957年4月時点の気動車配置表によれば、道内には道北・道東を主として、旧41000形の系統に属する気動車が36両も配置されていた。これらは1958年-1960年代前期にかけ、本格的な酷寒地用の両運転台液体式気動車であるキハ22形の大量増備で置き換えられるまで、耐寒性能の不備や、総括制御ができない機械式の制約を押して運用が続けられた。
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