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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 23:16 UTC 版)
「福島第一原子力発電所6号機の建設」の記事における「形式変更へ」の解説
上述のような事情から、東京電力は電気出力78万4000KWのBWRの建設を5号機で打ち切りとし、6号機としてMarkII(GE型)格納容器を採用したBWR-5を採用、1971年11月末には出力変更を公にし、12月21日に設置許可申請を行った。この当時BWR-5はアメリカ本国での1機を加え、計3機が計画進行中であり当初はそちらの方が先に運転を開始することになると見込まれたが、アメリカでの計画が遅延する中、結果として日本原電の東海第二発電所が世界初の運転開始となったため、6号機はリーディングプラントの翌年に運転開始という結果を見ることになる。 なお、『東京電力三十年史』では形式変更の理由を下記のように提示している。 将来の電源立地難を考慮した場合、ユニットの大型化を推進し、用地の有効利用を図ることが得策 大型ユニットを採用して、国内メーカーの技術向上に役立てるとともに、これを国産化した後の経済性が大きく、安全性や技術レベルの点からも支障ないと判断 後者の点は『電気新聞』の取材に対して白澤が「二台導入によってライセンスが手に入りやすくなるから先行き国産化のテンポを早めることになる。発注を一部は国内メーカーにすれば、完成時には少なくとも二メーカーが百万kW級プラントをつくれるという訳だ」と答えている。その他、白澤により 1976年度以降東日本地域の電力需要がひっ迫する 二台の同時建設で、互いにディスカッションが可能となり、その方がより安全で(建設コストも)安く上がる という点が挙げられている。 また、当初BWR-5最初の建設予定地としていた福島第二地点の用地取得が遅延し、1号機着工が1973年度後半になったため、100万kWを早期に手がけるため、6号機の出力をアップしたという事情もある。 後に東京電力は6号機を以降の原子力標準ユニットのベースとした。
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