幼少期から初陣とは? わかりやすく解説

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幼少期から初陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 06:36 UTC 版)

島津豊久」の記事における「幼少期から初陣」の解説

元亀元年1570年)、島津家久の子として誕生幼名は豊寿丸で、初め島津 忠豊名乗っていたが、後に豊久改名した天正11年4月11日1583年6月1日)、上井覚兼佐土原赴いたが、父・家久留守だったため対応する天正12年3月1584年4月)の沖田畷の戦い初陣。まだ元服していなかったが、新納忠元後見の元、敵の首級一つ討ち取った。この戦いの直前早朝、父・家久は、13歳豊久に「あっぱれな武者振り、ただ上帯結び方はこうするのだ」と結び直して脇差でその帯端を切り、「よく聞け。もし戦に勝って討死なければこの上帯は儂が解こう。だが今日の戦で屍を戦場晒す時は、切った上帯見て島津が家に生まれた者の思い切った所作と敵も知り、儂もその死を喜ぼうと言ったと言う沖田畷において家久豊久父子奮戦し勝利して無事に帰還した後、家久豊久帯を解いたといわれる天正12年4月14日1584年5月23日)に肥後国にて元服果たしたちなみに天正13年12月1586年2月)、父の家久豊久兄弟3人の疱瘡治療のため、の『香円』を持っていれば頂きたいという旨を、上井覚兼伝えている。

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幼少期から初陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 11:18 UTC 版)

徳川家康」の記事における「幼少期から初陣」の解説

三河国土豪である松平氏第8代当主松平広忠嫡男として天文11年12月26日1543年1月31日寅の刻午前4時)に岡崎城 にて誕生。母は水野忠政の娘・於大伝通院)。幼名竹千代たけちよ)。 3歳のころ、水野忠政没後水野氏当主となった水野信元於大の兄)が尾張国織田氏同盟し織田氏敵対する駿河国今川氏庇護されている広忠於大離縁竹千代3歳にして母と生き別れになる。 天文16年1547年8月2日竹千代数え6歳今川氏への人質として駿府送られることとなる。しかし、駿府への護送途中立ち寄った田原城義母の父・戸田康光の裏切りにより、尾張国織田信秀送られた。だが広忠今川氏への従属貫いたため、竹千代そのまま人質として2年尾張国熱田加藤順盛屋敷留め置かれた。このとき織田信長知り合ったという伝説があるが、史料にはない。また、近年の研究では、天文16年9月岡崎城織田氏によって攻略されたとする文書(「本成寺文書」『古証文』)の存在指摘され松平広忠織田氏への降伏の証として竹千代人質差し出した可能性浮上している。 2年後広忠死去する今川義元織田信秀庶長子織田信広との人質交換によって竹千代取り戻す。しかし竹千代駿府移され岡崎城今川氏から派遣され城代朝比奈泰能山田景隆など)により支配された。墓参りのためと称して岡崎城帰参した際には、本丸には今川氏城代置かれていたため入れず二の丸入った天文24年1555年3月駿府今川氏の下で元服し今川義元から偏諱を賜って次郎三郎元信名乗り今川義元の姪で関口親永の娘・瀬名築山殿)を娶る。名は後に祖父松平清康偏諱をもらい蔵人元康改めている。 なお、松平元康徳川家康)の今川氏との関係については吉良氏との関係を考慮する必要があるとする指摘もある。吉良氏三河国幡豆郡根拠とした足利氏御一家一つで、今川氏宗家であった吉良氏守護ではないものの、三河の国主に准じられて国内国衆にも影響与え松平信忠吉良義信松平清康吉良持清松平広忠吉良持広偏諱得た推定されている。今川義元吉良氏に代わって安祥松平氏次期当主に対して自らの偏諱与えとともに自らの一門組み込むことによって吉良氏三河国主として地位間接的に否定するとともに今川氏三河支配安定化実質上の三河最大勢力である松平氏を介して図った考えられる当時三河国では国衆の間で大規模な反乱起きており(三河忩劇)、永禄元年1558年2月5日には今川氏から織田氏通じた加茂郡寺部城主・鈴木重辰を攻めた。これが初陣であり、城下焼いて引き揚げ転じて附近広瀬挙母梅坪伊保攻めた。この戦功により、義元旧領のうち山中300貫文の地を返付し、腰刀贈った永禄2年1559年)に駿府元康は7か条から定書岡崎にいる家臣団との間で交わしている。これは、将来的今川氏直臣岡崎城主となるであろう元康今川氏による間接統治下で希薄化した家臣団との間の主従関係再確認する性格持っていた。

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