幼少期から南唐代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:57 UTC 版)
呉の天祐13年(916年)、広陵(現在の江蘇省揚州市)に生まれる。かなり利発な子供であったと言われ、10歳にして書文をよくものして地元随一の秀才と讃えられた。 長じて官吏となり、呉王朝に仕えて校書郎となったが、天祚3年(937年)8月、21歳の時に呉最後の皇帝・楊溥が太師であった徐知誥(李昪、「昪」はひらびの下に「弁」)に禅譲し、南唐が立った。ここでも優秀であった鉉は引き続き重用され、尚書右丞、兵部侍郎、翰林学士、御史大夫、吏部尚書など文官を中心に任用された。歴代皇帝の信任も篤く、また文官として優秀であったことから、五代十国の中でも特に文化王朝であった南唐を文化面から支えた。
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