加藤順盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 12:29 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 永正11年(1514年) |
死没 | 天正16年(1588年) |
別名 | 図書助、順光 |
主君 | 織田信長 |
氏族 | 加藤氏 |
父母 | 加藤順光または加藤景繁 |
子 | 加藤順政、加藤弥三郎ら12人 |
加藤 順盛(かとう よりもり、のぶもり)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。織田氏の家臣。
経歴
加藤氏は代々図書助と名乗っている。熱田羽城(現在の名古屋市熱田区)を拠城としていた順盛は、徳川家康(竹千代)が今川氏へ送られる途中に捕らえられ、織田氏へ送られた際、熱田羽城に幽閉された[1]。桶狭間の戦いでは熱田で信長を迎え入れ、戦勝祈願に立ち会う。息子の加藤弥三郎は桶狭間の戦いにも従軍している[2]。
脚注
加藤順盛(かとう のぶもり)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:27 UTC 版)
「センゴク外伝 桶狭間戦記」の記事における「加藤順盛(かとう のぶもり)」の解説
通称は図書助。織田弾正忠家の支配域にある熱田商人の頭取で、「熱田に図書助、津島に右馬太夫あり」と並び称される存在。信長を支援する津島商人とは対立関係にあるために、織田信長と信行の対立では当初信行方に付いたが、金融を引き締めるのではなく市場にあまねく銭を巡らせる経済政策を語る信長を「銭の道理の分かる人物」と認めて掌を返した。桶狭間の戦いでも当初今川方につこうとした熱田商人衆の意向を覆させて、銭が人を支配する世の到来を夢見てきた八十余年の生涯の晩年に出会った「銭の寵児」たる信長の勝利に賭けたが、目論見をはるかに超える信長の大勝の報に「恐ろしや…」と呻いた。
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