吉良持広とは? わかりやすく解説

吉良持広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/20 02:37 UTC 版)

吉良 持広(きら もちひろ)は、戦国時代武将後期東条吉良(下吉良)氏7代当主。三河国東条城主。


注釈

  1. ^ 当時、仙千代丸、仙松丸とも。
  2. ^ 義弘とも、通称甲斐守、幡豆郡八ツ面城主。
  3. ^ この女性は義定を産んだが、徳川家康が義定に三河吉良氏の跡目を継がせたので西条吉良・東条吉良の血統は共に江戸時代も存続した。
  4. ^ 義次。のちに吉次と改名。通称は小左衛門、後の遠州横須賀藩祖。
  5. ^ 吉良義堯の次男。

出典

  1. ^ 寛政重修諸家譜2、217』


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