西条吉良氏との相克
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 06:04 UTC 版)
応仁の乱勃発に際し、祖父・吉良義藤が山名宗全の西軍側についたが、もともと、紛争の絶えなかった同族の西条吉良(上吉良)氏は細川勝元の東軍に味方したため、東・西吉良氏は領国三河で戦を交えることになった。続く戦国時代に入っても両吉良氏対立は継続していたなか、東条吉良氏6代・吉良持清の子として持広は生まれた。持広の頃には東条吉良氏は駿河国・遠江国の戦国大名今川氏に接近して、尾張国の織田氏に款みを通じた西条吉良氏に備えた。その頃、同じく織田氏と対立関係にあった三河の松平氏とも結び織田氏に対抗していた。
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