山交百貨店時代
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移転後は3店舗の中で一番甲府駅に近いという好条件であったが、1975年(昭和50年)に倒産した中込百貨店を西武流通グループが買収し、新ビルを建てた上で西友中込店(その後甲府西武に改名)として営業を開始。さらに岡島百貨店の増床計画も持ち上がったため、山交百貨店も改築に乗り出した。1985年(昭和60年)に甲府駅ビル「エクラン」(現:セレオ甲府)の完成とともに甲府駅バスターミナルを現在の甲府駅南口正面に移転して旧バスターミナルの場所に改築用のスペースを作り、翌1986年(昭和61年)に開催されたかいじ国体の終了を待って営業を休止し建物を解体した。 3年後の1989年(平成元年)に地上5階建、地下4階建の新しい建物が完成し営業再開。1階と2階の間にスパイラルタイプのスパイラルエスカレーターを設置し、1階の上下エスカレーターの間に時計台を設置していた。 改築後はバブル景気に乗り売上は順調であったが、バブル崩壊後の1990年代は不況と甲府駅前の空洞化により売上が低迷した。1998年2月には甲府西武が閉店、1999年11月にはトポス甲府店(旧:ダイエー甲府店)が相次いで閉店している。 詳細は「甲府市中心市街地活性化基本計画#概要」を参照 運営会社の山交もGMS事業の失敗(後述)による負債が重くのしかかったことから、親会社の国際興業は経営健全化を目的に運営会社の新旧分離を実施した。まず2007年(平成19年)2月に株式会社山交百貨店を設立して山交百貨店のみを移譲。負債だけとなった山交は同年3月に株式会社甲州管財と商号変更したうえで臨時株主総会で解散を決議し、同年7月に東京地裁より特別清算手続の決定を受け、清算業務を行なっている。 経営が新会社に移った山交百貨店は2008年(平成20年)の改装工事を実施し、スパイラルエスカレーターの右半分(下り)と1階にあった時計台の撤去を行なった。2015年(平成27年)12月17日より甲府駅バスターミナルにあったバスセンターを当百貨店地下1階、バス案内所を百貨店前に移転。2017年(平成29年)8月9日の新案内所竣工まで営業を行っていた。 新会社移行後も郊外大型店舗の増加や東京への買い物客流出、さらにネットショッピングの台頭などにより、売上高は1997年2月期の約121億7700万円から2018年3月期には約28億4300万円まで大きく落ち込み、全盛期は100店舗あったテナントも、キーテナントであった無印良品が2017年(平成29年)10月29日にイオンモール甲府昭和へ移転するなど2019年(平成31年)3月時点で67店舗までに減少し、駅前通行量の減少で新規テナントの出店を躊躇される状況であった。 また、山交百貨店の親会社である国際興業グループ内でも2014年(平成26年)にサーベラス・キャピタル・マネジメントからの株式買い戻しを発端とした再編が行われ、この過程で名前の由来になった山梨交通系列のバス事業とトラベル事業がグループから離脱したことで山交百貨店との資本関係がなくなり、甲府市内にあった富士屋ホテルチェーンの甲府富士屋ホテルも2018年(平成30年)5月に2019年3月をもって営業終了することが発表されるなど(2019年4月より別資本に譲渡され甲府記念日ホテルとして営業継続)、山交百貨店と提携する企業が県内から相次いで喪失していった。国際興業も株式買い戻しにより1400億円の負債を抱えており、山交百貨店を支援する体力は残されていない状況であった。 この状況で2018年3月期には純損失が1億2900万円、純資産もマイナスに転じ、さらに2019年3月期は純損失が1億7600万円を計上するなど先行きが見通せなくなったことから、同年9月30日をもって閉店することを決定した。 2019年9月30日19時の閉店時間に従業員が正面玄関前に並び、200人の観衆の前で店長が閉店を告げる挨拶を行い、最後は従業員が店内に戻り頭を下げた状態でシャッターが降ろされ、1954年開業の甲府松菱以来65年間の歴史に幕を下ろした。
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