小六禮次郎とは? わかりやすく解説

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小六禮次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/18 06:59 UTC 版)

小六 禮次郎
生誕 (1949-12-13) 1949年12月13日(75歳)
出身地 日本 岡山県岡山市中区
学歴 東京藝術大学音楽学部
職業 作曲家
編曲家
共同作業者 すぎやまこういち
公式サイト FAIR WIND music

小六 禮次郎 ころく れいじろう[1][2]1949年[3][2]12月13日[1][4] - )は、日本作曲家編曲家東京音楽大学客員教授[1][2]日本作編曲家協会理事長[1]

すぎやまこういちの弟子にあたる人物。歌手女優倍賞千恵子[1][5]

来歴・人物

岡山県[3][2]岡山市[1]中区[要出典]出身。小学生時代に第17回国民体育大会が岡山で開催された際に小中学校で鼓笛隊が編成されたことをきっかけに音楽に熱中するようになる[1]岡山県立岡山操山高等学校から東京藝術大学[2]音楽学部作曲科に進み、卒業後は作・編曲分野の第一線で活動[1]。映画、テレビ、ミュージカル、CM作品からオペラ、交響詩まで幅広いジャンルの作品がある[1][2]

同郷の先輩である川口真からすぎやまこういちを紹介され、1年ほどアシスタントを務めた[2]。2年目に味の素のCMコンペで採用され、以後CMや音楽番組、歌謡曲の編曲など多数の発注を受けるようになる[2]。しかし、編曲は自身に合わないと思い、映像音楽へとシフトしていった[2]

北海道野付郡別海町別荘を所有し、1年の半分近くを同所で過ごしている。また、その縁で野付半島ネイチャーセンターの名誉センター長に妻の倍賞千恵子と共に任命されている[1]

2013年1月15日、「別海町観光大使」就任[6]

主な作品

テレビドラマ

教育番組

人形劇

舞台

映画

アニメ

アニメ映画

OVA

ゲーム

楽曲提供

編曲作品

クラシック音楽

  • 晴れの国おかやま国体(行進曲『March'05』、国体旗引継曲『永遠の旗~the Eternal Flag~』、炬火点火・納火曲『炎の下に~Under the Flame~』)
  • 福井国民文化祭 世界劇『眠り王』『黄金の刻』
  • 前進座特別公演 『法然と親鸞』
  • 岡山城築城400年記念式典 『烏城浪漫』
  • 吉備高原学園高等学校校歌
  • 学校法人ベル学園校歌
  • 合唱ミュージカル「ゲッタウェイ」
  • 合唱ミュージカル「ビリーの木」
  • 合唱ミュージカル「くいしんぼうララバイ」
  • 合唱ミュージカル「星空の紙ヒコーキ」
  • 合唱ミュージカル「伝説の島ZZ」
  • 女声合唱組曲「金もくせい/少女から女へ」(作詞:藤公之助
  • 女声合唱組曲「街角の歌たち」(作詞:村田さち子)
  • 女声合唱組曲「Woman」(作詞:村田さち子)
  • 女声合唱組曲「ゴスペル・シャワー」(作詞:村田さち子)
  • 混声合唱組曲「生まれた街」(作詞:弥勒
  • ミスター・モーニング(作詞:村田さち子。第52回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲)
  • サクソフォンとピアノのための「さくら」
  • 吹奏楽曲「アンゼラスの鐘」
  • The game(パーカッションアンサンブル)
  • 祝典カンタータ~宇宙に浮かぶ奇蹟の惑星~(作詞:麻生香太郎岡山市ジュニアオーケストラ創立45周年記念委嘱作品)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 小林淳 2016, pp. 158–159, 「音楽担当者プロフィール」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 1984コンプリーション 2019, pp. 58–59, 「小六禮次郎インタビュー」
  3. ^ a b c 平成ゴジラ大全 2003, pp. 76–77, 小林淳「『ゴジラ』の音楽世界」
  4. ^ a b 野村宏平、冬門稔弐「12月13日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、358頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  5. ^ 「私の履歴書 倍賞千恵子」『日本経済新聞 東京朝刊』日本経済新聞社、2023年12月23日、44面。
  6. ^ Facebookにログイン”. Facebook. 2022年12月22日閲覧。

参考文献

外部リンク


小六禮次郎

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プリンプリン物語」の記事における「小六禮次郎」の解説

本作音楽担当1981年度の「プリンプリン紅白歌合戦」に審査員として顔を出した

※この「小六禮次郎」の解説は、「プリンプリン物語」の解説の一部です。
「小六禮次郎」を含む「プリンプリン物語」の記事については、「プリンプリン物語」の概要を参照ください。

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