完倉泰一とは? わかりやすく解説

完倉泰一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/22 09:55 UTC 版)

かんくら たいいち
完倉 泰一
生年月日 (1912-04-30) 1912年4月30日
没年月日 (1981-01-28) 1981年1月28日(68歳没)
出生地 大日本帝国東京都
死没地 日本
国籍 大日本帝国 日本
職業 撮影監督
ジャンル 映画
活動期間 1942年 - 1981年
事務所 日本映画撮影監督協会
テンプレートを表示

完倉 泰一(かんくら たいいち、1912年4月30日[1] - 1981年1月28日[1])は日本映画撮影監督東京都出身。日本映画撮影監督協会日本映画テレビ技術協会所属。

来歴

1935年オリエンタル写真学校を卒業し、1936年P.C.L.映画製作所に入社。1942年より撮影監督となる。1954年東宝撮影所に復帰。1971年にフリーとなる。

主な作品

  • 翼の凱歌」(1942年10月15日)
  • 明日を創る人々」(1946年5月2日)
  • 「十一人の女学生」(1946年8月22日)
  • 第二の人生」(1948年2月3日)
  • 「与太郎と天使」(1950年3月27日)
  • 「大岡政談 将軍は夜踊る」(1950年5月27日)
  • 軍艦すでに煙なし」(1950年10月21日)
  • 「えりことともに」(1951年1月29日)
  • 港へ来た男」(1952年11月27日)
  • 花の中の娘たち」(1953年9月15日)
  • 「誘蛾燈」(1953年10月7日)
  • 「女心はひと筋に」(1953年12月29日)
  • 「水着の花嫁」(1954年7月7日)
  • 潮騒」(1954年10月20日)
  • 天下泰平」(1955年1月29日)
  • 「続天下泰平」(1955年2月20日)
  • 「月に飛ぶ雁」(1955年4月19日)
  • 「新鞍馬天狗 夕立の武士」(1955年6月14日)
  • 「船場の娘より 忘れじの人」(1955年10月18日)
  • ジャンケン娘」(1955年11月1日)
  • 「歌え!青春 はりきり娘」(1955年12月28日)
  • 「幸福はあの星の下に」(1956年2月5日)
  • 「奥様は大学生」(1956年2月26日)
  • 「婚約三羽烏」(1956年4月25日)
  • 「大暴れチャチャ娘」(1956年5月24日)
  • ロマンス娘」(1956年8月15日)
  • 「おかしな奴」(1956年11月7日)
  • 「忘却の花びら」(1957年1月3日)
  • 大番」(1957年3月5日)
  • 「忘却の花びら 完結篇」(1957年7月2日)
  • 大当り三色娘」(1957年7月13日)
  • 「肌色の月」(1957年10月8日)
  • 「愛情の都」(1958年1月21日)
  • 「太鼓たゝいて笛吹いて」(1958年5月20日)
  • 「ロマンス祭」(1958年8月12日)
  • 「大学の人気者」(1958年9月30日)
  • 人生劇場 青春篇」(1958年11月23日)
  • 「大学のお姐ちゃん」(1959年3月3日)
  • 潜水艦イ-57降伏せず」(1959年7月5日)
  • 「銀座のお姐ちゃん」(1959年7月14日)
  • サザエさんの新婚家庭」(1959年8月23日)
  • お姐ちゃん罷り通る」(1959年11月22日)
  • 「侍とお姐ちゃん」(1960年1月9日)
  • 「サラリーマン出世太閤記 花婿部長No.1」(1960年3月29日)
  • 「お姐ちゃんに任しとキ!」(1960年7月31日)
  • がめつい奴」(1960年9月18日)
  • 「お姐ちゃんはツイてるぜ」(1960年11月20日)
  • 「東海道駕籠抜け珍道中」(1960年12月20日)
  • サラリーマン忠臣蔵」(1960年12月25日)
  • 続サラリーマン忠臣蔵」(1961年2月25日)
  • 「七人の敵あり」(1961年3月18日)
  • 「サラリーマン 弥次喜多道中」(1961年6月27日)
  • 「続サラリーマン 弥次喜多道中」(1961年7月23日)
  • 「猫と鰹節 ある詐話師の物語」(1961年11月22日)
  • 「ガンバー課長」(1961年12月17日)
  • 銀座の若大将」(1962年2月10日)
  • 社長洋行記」(1962年4月29日)
  • 続・社長洋行記」(1962年6月1日)
  • 私と私」(1962年8月11日)
  • 社長漫遊記」(1963年1月3日)
  • 「六本木の夜 愛して愛して」(1963年1月29日)
  • 続・社長漫遊記」(1963年3月1日)
  • 国際秘密警察 指令第8号」(1963年8月31日)
  • 太陽は呼んでいる」(1963年9月29日)
  • 「やぶにらみニッポン」(1963年12月1日)
  • 香港クレージー作戦」(1963年12月22日)
  • ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば」(1964年5月16日)
  • 無責任遊侠伝」(1964年7月11日)
  • 「おれについてこい!」(1965年6月20日)
  • 悪の階段」(1965年10月23日)
  • 「女は幾万ありとても」(1966年2月12日)
  • 「バンコックの夜」(1966年4月3日)
  • じゃじゃ馬ならし」(1966年6月22日)
  • 落語野郎 大脱線」(1966年6月30日)
  • 落語野郎 大爆笑」(1967年2月11日)
  • 怪獣総進撃」(1968年8月1日)[1]
  • 緯度0大作戦」(1969年7月26日)
  • ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(1970年8月1日)[1]
  • 「よみがえる東塔」(1983年11月7日)

受賞歴

受賞年 受賞名
1950年 第5回 日本映画技術賞 撮影賞
1983年 第37回

脚注

  1. ^ a b c d 野村宏平、冬門稔弐「4月30日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、118頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 

参考文献

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「完倉泰一」の関連用語

完倉泰一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



完倉泰一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの完倉泰一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS