実戦記録とは? わかりやすく解説

実戦記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/26 17:19 UTC 版)

P.7 (航空機)」の記事における「実戦記録」の解説

P.7はPWS-A(アビアBH-33のライセンス生産型)およびPWS-10戦闘機後継として、1933年初頭よりポーランド空軍への実戦配備開始された。本機配備されたことにより、ポーランド空軍は全金属製戦闘機のみで編成され世界初空軍となった配備時のP.7は、当時としては近代的な機体であり、同時代他国設計比較して同等それ以上であった。しかし航空技術急速な発展のため、1939年には完全に旧式化していた。1935年からは大半実戦部隊でPZL.P11に更新されていき、P.7aは飛行学校へと移された。 1939年9月1日第二次世界大戦勃発した時点で、ポーランド空軍実戦部隊には30機のP.7aが残っており、さらに飛行学校40機、予備機もしくは修理中のものが35機、計105機が残存していた。P.7aを装備していたのは3個飛行隊10機で、第123飛行隊ワルシャワ周辺展開する追撃機旅団所属、第152、第162飛行隊地上部隊配属されていた。旧式装備にもかかわらずドイツ軍ポーランド侵攻するとこれらの隊も防衛戦加わった。これら実戦部隊とは別に、デンブリンとウウェシ両基地臨時編成された部隊少なくとも18機が配備された。 P.7はドイツ軍機に比べて運動性優れ小規模飛行場離陸距離は150m)や、不整地での運用も可能であったが、ほとんどのドイツ機は本機よりも優速であった。さらに機体エンジン過酷な使用によって損耗しており、武装貧弱で、わずかに2丁のヴィッカース機銃作動不良起こしがちであったこのため、P.7のパイロットによるドイツ軍機の撃墜は7機(ハインケル He111Do17Bf110各2機とHs126が1機)にとどまる一方損失22機におよんだ。各基地のP.7aで臨時部隊編成されたが、ドイツ軍爆撃機空襲に対しては、敵機撃墜するというよりも、果敢な攻撃撹乱するとどまった大半のP.7aは1939年空戦地上破壊され数十機がルーマニアへ逃れたが、以後実戦使用されることはなかった。またドイツ軍捕獲された数機は訓練用使用された。ソ連軍にも数機が接収され(機数は不明)、訓練用用いられた。

※この「実戦記録」の解説は、「P.7 (航空機)」の解説の一部です。
「実戦記録」を含む「P.7 (航空機)」の記事については、「P.7 (航空機)」の概要を参照ください。


実戦記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 08:15 UTC 版)

IV号a型10.5cm対戦車自走砲」の記事における「実戦記録」の解説

実戦試験のため、バルバロッサ作戦中、2両の試作車は第521駆逐戦車大隊配備された。1両は事故により砲撃捕捉され弾薬誘爆して完全に破壊された。しかしもう1両は1941年終わりまで戦い成功収めた1942年の上半期本車クルップ社によって作り直されブラウ作戦、すなわちロシアでの1942年夏期攻勢参加が間に合うよう、521大隊復帰した本車は、1942年11月から12月にかけて大隊作成した報告書の中で、使用可能であることが報じられていない1941年6月26日報告では以下のように車輌について述べている。 「本自走砲は、指揮車輌として用いるには有効な機動性能を持たない限られた主砲旋回性能により、敵を照準するには、車体全体旋回させることが不可欠となっている。これは特に不整地で繰り返す際に相当に時間がかかるが、理由は重い車輌と弱いエンジンよる。加えて装甲レイアウトにも理由がある。前面のみが重く後部では50mm薄くなっている。これは正面向いて使用するよう造られている。この車輌側面後方からも砲撃されうる。指揮車輌として使うには、全方位速やかに敵と交戦する能力を必要とする。 Szczararの交差点におけるように、主砲開けた発砲位置から直接射撃によって歩兵連隊攻撃支援できることを証明した主砲前面巻き上がる大きな発砲煙のため、我々自身砲撃観測することができない自走砲互い射撃観測する必要があり、もしくは一方有人観測所をどうしても置かねばならなかった。砲手乗員と同様である。射撃時には車輌寸法機動性欠如発砲時に巻き上がる大きな発砲煙から、将来、本自走砲間接射撃によって榴弾を撃つのみとなるだろう。 今に至るまで、本自走砲専門化された任務のために使用されてきた。直接射撃によるコンクリート製のバンカーとの交戦、および他の対戦車兵器との協同による重戦車との交戦である。その高い貫徹性能このため備わっているように思われるエンジントランスミッションでは特別な故障が起こらなかった。ステアリングブレーキは過度に応力かけられた。一方のステアリングブレーキについているステアリングスライド内部ボルト3度、完全に断裂した。またブレーキバンドは2度交換されねばならなかった。理由リベット過熱された事による。

※この「実戦記録」の解説は、「IV号a型10.5cm対戦車自走砲」の解説の一部です。
「実戦記録」を含む「IV号a型10.5cm対戦車自走砲」の記事については、「IV号a型10.5cm対戦車自走砲」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「実戦記録」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「実戦記録」の関連用語

実戦記録のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



実戦記録のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのP.7 (航空機) (改訂履歴)、IV号a型10.5cm対戦車自走砲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS