実戦記録
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P.7はPWS-A(アビアBH-33のライセンス生産型)およびPWS-10戦闘機の後継として、1933年初頭よりポーランド空軍への実戦配備が開始された。本機が配備されたことにより、ポーランド空軍は全金属製の戦闘機のみで編成された世界初の空軍となった。配備時のP.7は、当時としては近代的な機体であり、同時代の他国の設計と比較しても同等かそれ以上であった。しかし航空技術の急速な発展のため、1939年には完全に旧式化していた。1935年からは大半の実戦部隊でPZL.P11に更新されていき、P.7aは飛行学校へと移された。 1939年9月1日に第二次世界大戦が勃発した時点で、ポーランド空軍の実戦部隊には30機のP.7aが残っており、さらに飛行学校に40機、予備機もしくは修理中のものが35機、計105機が残存していた。P.7aを装備していたのは3個飛行隊各10機で、第123飛行隊はワルシャワ周辺に展開する追撃機旅団に所属、第152、第162飛行隊は地上部隊に配属されていた。旧式の装備にもかかわらず、ドイツ軍がポーランドに侵攻するとこれらの隊も防衛戦に加わった。これら実戦部隊とは別に、デンブリンとウウェシ両基地で臨時編成された部隊に少なくとも18機が配備された。 P.7はドイツ軍機に比べて運動性に優れ、小規模の飛行場(離陸距離は150m)や、不整地での運用も可能であったが、ほとんどのドイツ機は本機よりも優速であった。さらに機体とエンジンは過酷な使用によって損耗しており、武装も貧弱で、わずかに2丁のヴィッカース機銃は作動不良を起こしがちであった。このため、P.7のパイロットによるドイツ軍機の撃墜は7機(ハインケル He111、Do17、Bf110各2機とHs126が1機)にとどまる一方、損失は22機におよんだ。各基地のP.7aで臨時部隊が編成されたが、ドイツ軍爆撃機の空襲に対しては、敵機を撃墜するというよりも、果敢な攻撃で撹乱するにとどまった。 大半のP.7aは1939年に空戦か地上で破壊され、数十機がルーマニアへ逃れたが、以後実戦で使用されることはなかった。またドイツ軍に捕獲された数機は訓練用に使用された。ソ連軍にも数機が接収され(機数は不明)、訓練用に用いられた。
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実戦記録
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「IV号a型10.5cm対戦車自走砲」の記事における「実戦記録」の解説
実戦試験のため、バルバロッサ作戦中、2両の試作車は第521駆逐戦車大隊に配備された。1両は事故により砲撃に捕捉され、弾薬が誘爆して完全に破壊された。しかしもう1両は1941年の終わりまで戦い、成功を収めた。1942年の上半期に本車はクルップ社によって作り直され、ブラウ作戦、すなわちロシアでの1942年夏期攻勢に参加が間に合うよう、521大隊に復帰した。本車は、1942年11月から12月にかけて大隊が作成した報告書の中で、使用可能であることが報じられていない。 1941年6月26日の報告では以下のように車輌について述べている。 「本自走砲は、指揮車輌として用いるには有効な機動性能を持たない。限られた主砲の旋回性能により、敵を照準するには、車体全体を旋回させることが不可欠となっている。これは特に不整地で繰り返す際に相当に時間がかかるが、理由は重い車輌と弱いエンジンによる。加えて、装甲のレイアウトにも理由がある。前面のみが重く、後部では50mm薄くなっている。これは正面を向いて使用するよう造られている。この車輌は側面や後方からも砲撃されうる。指揮車輌として使うには、全方位で速やかに敵と交戦する能力を必要とする。 Szczararの交差点におけるように、主砲は開けた発砲位置から直接射撃によって歩兵連隊の攻撃を支援できることを証明した。主砲前面で巻き上がる大きな発砲煙のため、我々自身の砲撃を観測することができない。自走砲は互いの射撃を観測する必要があり、もしくは一方に有人の観測所をどうしても置かねばならなかった。砲手も乗員と同様である。射撃時には、車輌の寸法、機動性の欠如、発砲時に巻き上がる大きな発砲煙から、将来、本自走砲は間接射撃によって榴弾を撃つのみとなるだろう。 今に至るまで、本自走砲は専門化された任務のために使用されてきた。直接射撃によるコンクリート製のバンカーとの交戦、および他の対戦車兵器との協同による重戦車との交戦である。その高い貫徹性能はこのために備わっているように思われる。 エンジンやトランスミッションでは特別な故障が起こらなかった。ステアリングブレーキは過度に応力がかけられた。一方のステアリングブレーキについているステアリングスライド内部のボルトは3度、完全に断裂した。またブレーキバンドは2度交換されねばならなかった。理由はリベットが過熱された事による。」
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