実戦経験と海外派遣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 02:22 UTC 版)
「キューバの軍事」の記事における「実戦経験と海外派遣」の解説
キューバ革命軍は、領土内における紛争に加え、1961年のピッグス湾事件、1959年から1965年まで続いた対盗賊戦、1963年にはアルジェリアに派遣、1973年にシリアに、1978年にエチオピア、1975年から1988年までアンゴラに長期派遣され、1980年には革命後、左派政権が成立したニカラグアに派遣された。若干の軍高官はゲリラ支援のために各種軍事行動に参加していた。1960年代には域内のベネズエラ、アルゼンチン、ボリビアなどで、1980年代にはエルサルバドルで活動し、この他にアフリカ諸国においても、1960年代にはコンゴ民主共和国、及びコンゴ共和国、ギニアなどに派遣され、コンゴ動乱や、アンゴラ解放人民運動(MPLA)やギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)の戦闘組織の訓練などでも活動していた。 特にアンゴラの独立直後に勃発したアンゴラ内戦では1975年から大規模に介入し、独立以前から援助していたMPLAのアゴスティニョ・ネト政権の存続を可能としたことは重要であった。この年以降、アパルトヘイト政策を掲げる南アフリカ共和国との闘争と言う名目で、アンゴラ民族解放戦線(FNLA)とアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)、南アフリカ防衛軍(South African Defence Force、SADF、南アフリカ国防軍の前身)を相手に約13年間に渡って戦い続けた。1988年に起きたクイト・クアナヴァレの戦い(Cuito Cuanavale)ではアンゴラ軍と共に南アフリカ軍の侵攻を阻止し、これにより膠着状態に陥ったアンゴラ、キューバ、南アフリカはニューヨーク合意を調印し、第一次国際連合アンゴラ検証団による監視の下、南アフリカが占領していたナミビアの独立を条件にキューバ軍と南アフリカ軍はアンゴラから撤退した。これら一連のアンゴラ派兵活動はカルロタ作戦(Operación Carlota)と呼称され、スペイン植民地主義に対し反乱を起こした黒人女性奴隷の名に因む。13年間で最大期には5万人規模の兵力、延べ30万人と1,000台以上の装甲車両や数十機の航空機、そして大規模な兵站部隊を派遣した。
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