実戦未投入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 08:45 UTC 版)
「B-58 (航空機)」の記事における「実戦未投入」の解説
部隊配備当初の華々しい「レコード・ブレイカー」としての活躍とは裏腹に、B-58は実戦とは縁遠い存在となっていく。ロバート・マクナマラ国防長官によるアメリカ軍の大量報復戦略の一部転換(大陸間弾道ミサイルへのシフト)や運用コストの高騰、トラブルの多発や整備性の悪さ、さらには航続距離の短さや、通常爆弾の搭載量が少なく、ボーイングB-52ほどの汎用性がなかったことから、B-58は急速にその価値を低下させていった。 アメリカ空軍内では、1965年から本格化したベトナム戦争への投入も検討された。具体的にはB-58を戦闘爆撃機のパスファインダー(先導機)として使用する案が検討され、アメリカ本土でのテストの他、下面を黒、上面をタンとグリーンの2色で塗り分けた迷彩も制定された。しかし、パスファインダーとしての能力は認められたものの、後述するインテグラルタンクへの被弾の懸念から実施は断念された。 他にも通常爆弾の搭載量がB-52に比べて少なかった、整備に高度の技術を要するためアメリカ本土から遠いタイ王国やフィリピンなどの東南アジアの前線基地での運用が困難だった上に、近代的設備を擁しておりB-58の運用が可能だった嘉手納基地からは遠いなど様々なマイナス要因が存在し、当時最新鋭の機体が撃墜されることのマイナスイメージを懸念したマクナマラ国防長官の反対があったとも言われている[要出典]。実際に、テキサス州やアーカンソー州、インディアナ州などアメリカ国内の複数の基地に配備されたものの、アメリカ国外の基地に配備されることはなかった。 結局、ベトナム戦争が激化して爆撃機が必要であるにもかかわらず、B-58は登場してからわずか5年後の1965年12月には、1970年6月までに退役させると決定された。折しもベトナム戦争の激化に伴う軍事費の増大とその圧縮が求められたこともあり、計画はさらに前倒しされ、1970年1月16日には全機の退役が完了。最初の部隊配備からわずか10年足らずで、B-58はアメリカ空軍から姿を消した。 なお、B-58は爆撃機としては一度も実戦へ投入されないまま引退したが、偵察機としては1962年10月のキューバ危機で出動し、少なくとも1回はキューバ領空に侵入、偵察したとされている。他に、1964年3月のアラスカ地震の時にも被害状況を撮影するために2機が出動した。
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