実戦投入後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 00:45 UTC 版)
最初の量産型(D型)は、ツィタデレ(城塞)作戦に間に合わせるためにさまざまな問題が未解決のまま戦場に投入された。 重量増のため転輪や起動輪、変速機など駆動系に問題が多発。また機関部の加熱問題に対応し新たに開発、装備された自動消火装置の不具合により、燃料漏れによる火災事故も発生し、2両が戦わずして全焼全損するなど、稼働率は低かった。また最初にパンターを装備し実戦投入された第51・52戦車大隊は、それぞれ既存の戦車大隊を基に再編成されたものであったが、一握りのベテランを除く乗員は、東部戦線での実戦経験の無い新兵が多く、また訓練期間も不足していた。さらに同隊の作戦将校にも実戦経験者が少なく、指揮にも問題があり、クルスク戦では十分な活躍はできなかった。 後に問題点は改良され、装甲師団の中核戦車となる。それまでの中核のIII号戦車生産は打ち切り、突撃砲を除き全て本車生産ラインに切り替えられた。 1943年頃のパンターの価格は125,000ライヒスマルクで、対しIII号戦車は96,200ライヒスマルク、IV号戦車が103,500ライヒスマルク、ティーガーIが300,000ライヒスマルクと、高性能でありながら導入コストパフォーマンスが高かった。しかしパンターのみでは戦車隊の損失を埋め部隊配備を充足できる程の生産が間に合わないため、長砲身(48口径)7.5センチ砲に換装されたIV号戦車(戦車連隊の第二大隊装備)は生産を続行、最後までパンター(第一大隊装備)と併行生産された。
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