女流棋士の昇級・昇段規定
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女流棋士の昇級・昇段規定(女流1級~女流五段)昇段・昇級女流1級へ女流初段へ女流二段へ女流三段へ女流四段へ女流五段へ白玲戦女流順位戦C級昇級 B級昇級 A級昇級 タイトル獲得1期 タイトル獲得3期 タイトル獲得7期 清麗戦- ベスト4 タイトル挑戦 マイナビ女子オープン本戦入り ベスト4 女流王座戦女流王将戦倉敷藤花戦ベスト8 ベスト4 女流名人戦予選決勝進出 リーグ入り 女流王位戦予選決勝進出 リーグ残留 一般女流公式棋戦準優勝 優勝 - - - - 単年度成績女流2級昇級後指し分け以上(8勝以上) 女流1級昇級後指し分け以上(8勝以上) - - - - 2021年10月1日以降の勝数規定括弧内は2021年【 】 9月30日までの勝数 女流2級昇級後40勝【 30勝 】 女流1級昇級後60勝【 50勝 】 女流初段昇段後70勝【 60勝 】 女流二段昇段後100勝【 90勝 】 女流三段昇段後130勝【 120勝 】 女流四段昇段後160勝【 150勝 】 女流六段以上 - 抜群の成績と実績を理事会で審議の上決定することがある 女流棋士の場合も、棋士(プロ)の場合と同様に「同一年度に2回以上の昇段」を不可とする規定が、2008年(平成20年)11月23日の時点では存在した。里見香奈が、2008年(平成20年)9月29日の第16期倉敷藤花戦の挑戦者決定戦で甲斐智美女流二段を破り、初のタイトル挑戦を決め、女流二段への昇段規定「タイトル挑戦」により、2008年(平成20年)9月29日付で女流二段に昇段した。第16期倉敷藤花戦三番勝負では、第1局(11月6日)第2局(11月23日)で清水倉敷藤花に連勝し、初タイトルとなる倉敷藤花を獲得した。里見は、女流三段への昇段規定「タイトル1期」を満たしたが、タイトルを獲得した2008年11月23日付ではなく、翌2009年(平成21年)度の最初の日である2009年(平成21年)4月1日付で、里見は女流三段に昇段した。昇段事由は「倉敷藤花戦タイトル獲得」と明示されている。 下記で示すように、長谷川優貴は、2011年(平成23年)10月1日付で女流2級としてプロ入りし、同年度(2011年(平成23年)度)内の2011年(平成23年)10月29日付で女流初段に、2012年(平成24年)2月2日付で女流二段にそれぞれ昇段した。2012年(平成24年)2月2日現在では、女流棋士について「同一年度に2回以上の昇段」を不可とする規定は廃されていることが示される。プロ入り前に、マイナビ女子オープン本戦入りを2回果たしており、女流3級から女流2級への昇級規定「女流3級で規定の成績を収めた者(<3>『女流棋士昇段級規定』の『女流1級へ』の条件を満たした場合)」をプロ入り前に満たしていた長谷川は、2011年(平成23年)10月1日付で女流2級として女流棋士となった直後の2011年(平成23年)10月29日に、女流棋士としての初対局として、第5期マイナビ女子オープン本戦2回戦にて甲斐智美女流王位と対局、勝利して、第5期マイナビ女子オープンベスト4に進出。これにより女流初段への昇段規定「マイナビ女子オープンベスト4」を満たし、2011年(平成23年)10月29日付で女流2級から女流初段に飛付昇段(女流2級から、間の女流1級を飛ばして、直接、女流初段に昇段)した。 長谷川は、引き続き、第5期マイナビ女子オープン本戦で、2012年(平成24年)1月11日の準決勝で斎田晴子女流五段を、2月2日の挑戦者決定戦で清水市代女流六段を破り、第5期マイナビ女子オープン挑戦者となると同時に、女流二段への昇段規定「タイトル挑戦」により、次年度の初日である2012年(平成24年)4月1日を待たずに、2012年(平成24年)2月2日付で女流二段に昇段した。 LPSAにおいては、「同一年度に2回以上の昇段」を認めるか明示されていないが、連続昇段級者がいるため認めていることが確認できる。渡部愛は女流3級であった2013年(平成25年)10月24日、第25期女流王位戦予選で本田小百合に勝利しリーグ入りを決め、昇級規定の女流1級の条件である、他団体主催棋戦(当協会との共催含む)で以下の活躍が認められた場合の、女流王位戦リーグ入りを満たし女流2級に昇級。 続いて同年度の2014年(平成26年)3月4日、第41期女流名人戦予選で渡辺弥生に勝利し予選決勝進出を決め、女流名人位戦予選決勝進出の成績により、女流1級へと連続昇級した。その10日程後の2014年(平成26年)3月14日に、第41期女流名人位戦予選で高群佐知子を降し、女流名人位戦リーグ入りの成績により、女流初段昇段規定を満たしたため女流初段へと二連続昇段を果たしている。 女流六段以上への昇段については、「抜群の成績と実績(理事会審議)」と抽象的に示されているのみである。LPSAにおいても同様である。清水市代は2000年(平成12年)の10月1日付で、女流棋士史上初の女流六段に昇段、2020年(令和2年)の4月1日付で、こちらも女流棋士史上初となる女流七段に昇段した清水は、2000年(平成12年)10月1日の時点で、クイーン四冠(=クイーン全冠)を2000年(平成12年)6月19日に達成。また三冠保持(女流王位、倉敷藤花、女流王将)、全冠(四冠)独占を2回達成(1996年(平成8年)・1998年(平成10年))、タイトル獲得数24期の実績を有していた。七段昇段の際には連盟常務理事会の審議により、女流棋戦歴代最多のタイトル獲得通算43期などの「類いまれなる成績」が評価され、満場一致で決まった。 次いで中井広恵も2002年(平成14年)11月に女流六段に昇段した。中井は、2002年(平成14年)11月の時点で、三冠保持(女流名人、倉敷藤花、女流王将)、クイーン名人獲得(1993年(平成5年)の第19期女流名人位戦で達成)。タイトル獲得数15期の実績を有していた。 2017年(平成29年)5月21日には、蛸島彰子が、LPSA理事会審議により女流六段に昇段した。 里見香奈は2020年(令和2年)4月1日付で女流六段に昇段。里見は2019年(令和元年)9月に史上初となる女流六冠を達成。また、2020年(令和2年)3月時点でタイトル獲得通算39期・クイーン四冠の実績を挙げている。 2020年(令和2年)4月時点にて、現役女流棋士として女流六段以上に昇段したのは、清水、中井、蛸島、里見の4名のみである。その他に、関根紀代子が、2011年(平成23年)8月31日付で女流五段のまま引退し、その直後の2011年(平成23年)9月7日の連盟理事会で、「普及に多大な功績が認められ、関根紀代子女流五段が9月8日付で女流六段へ昇段することに決定」し、女流六段の免状が授与された。すなわち、関根が引退女流棋士として女流六段に昇段したのは、清水、中井と同じく「抜群の成績と実績(理事会審議)」によるものである。 「女流棋士総則」の「降級点規定」による引退、および「引退女流棋士昇段規定」による昇段も存在する(日本将棋連盟ホームページの「昇段規定:日本将棋連盟」では言及されていない)。伊藤明日香女流1級(引退前)は、「女流棋士総則」の「降級点規定」により2009年(平成21年)3月31日付で引退し、「引退女流棋士昇段規定」により2009年(平成21年)4月1日付で女流初段に昇段した。また、伊藤と同門の野田澤彩乃も同規定により2020年(令和2年)4月1日付で女流1級から女流初段に昇段した。 高橋和女流二段(引退前)は、「子供たちへの将棋の普及活動に力を入れたいとの思いから」2005年(平成17年)2月9日付で(任意で)引退した。引退から1年以上経過してから、高橋は「引退女流棋士昇段規定」により、2006年(平成18年)4月1日付で女流三段に昇段した。 勝数の誤りにより、一度公表された昇段日が訂正された例がある。石橋幸緒(当時女流三段)について、「女流三段段昇段後120勝」の昇段規定により女流四段への昇段が日本将棋連盟から発表された(2004年7月23日付)が、8年後、この時点では勝数が不足(実際は114勝で6勝不足)していたことが明らかになり、実際の120勝達成日(2004年10月8日付)へと昇段日が訂正された。
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