奥付(おくづけ)
版本の刊記部分を巻末に別丁に仕立てたもの。享保七年の町触れに、書物の奥に作者・版元の実名を出すべしと命じたことが、刊記・奥付が一般化したきっかけになったとされる。
奥付は別丁になっているので特に下記の点を注意しなければならない。
(1)官版・藩版など奥付を付けない例の本を、本屋が初印本を受注・印刷後に、販売の委託を受けて奥付を補った場合、刊行年月の確認に注意する。
(2)同一版元の複数の本に、同一奥付が流用される場合がある。
(3)後印時に奥付を補うことがある。店名だけを刷った別葉を用意し、同時に複数の本の後印時に付ける。初印時の刊記を残したまま同店名の奥付を付けるのである。この場合、刊記の年月が刷印時を示すものではない。これは匡郭の寸法に本文丁と差があり大凡の見当がつくことがある。
(4)求版本に奥付を補う。これは原刊記を残したままと、削除する場合がある。
(5)版木の移動によって、同一本に刷印のの時期、場所ごとに奥付の異なる場合を生ずる。
(6)近世後期、多くの版木を求版して広範囲に販売する店では、地方の提携店が変わったり増加したりすると、奥付の記載に変更を生ずる。(5)(6)の場合、一つの奥付のみで判断してはならない。
(7)貸本屋、古本屋が、たまたま入手した本の後表紙の内側に自店名入りの広告などを貼付し、奥付と紛らわしい場合がある。
(8)古本屋または所持者の時に、もとの奥付部が破損また逸失していた場合に、適当に他本のものを補うことがある。浄瑠璃本など同一体裁・書型で、流通量の多いものは殊更に注意が必要である。
(9)不完本を完本に見せるために古本屋が細工をする。例えば五巻本の末巻を欠くとき、第四巻末に適当にほかの奥付を補う場合がある(この場合においては匡郭の差異で見当がつくことがある)。
奥付
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/12 04:43 UTC 版)

和書には奥書を付ける慣習がある[1]。洋書には通常は奥付はなく扉に標題、著者名、出版社、出版年等を記す[2]。
概説
和書では奥書を付けることが慣習となっている[1]。これと決まった形式はなく、日本特有のものとされるが、丸山1986年・丸山1990年では、「スラブ系およびラテン系諸国の出版物には、奥付をつける慣行があるが、和書ほど完備していない」としている。
なお、洋書には奥付に相当するものとしてcolophon(コロフォン)がある。洋書の書誌事項は一般にタイトルページの次のページにある。ただし、和書の奥付は江戸時代に幕府の法制上の強制により始まった慣習であるのに対し、洋書のコロフォンは装飾的な意図で発生したものとされており沿革が異なる[1]。
歴史
江戸時代
1722年(享保7年)11月の、大岡忠相による「新作書籍出板之儀に付触書」に由来する。
何書物ニよらす、此以後新板之物、作者并板元之実名、奥書ニ為致可申候事。
これにより、横行していた偽板(海賊版)が統制され、版元書店の出版権が明確になった。但し、明治以前の奥付は、今日のそれとは大きく異なっており、「版」と「刷」の相違が明確でなく、版木自体も売買されるものであったし、また、書店組合を結成して各地で出版販売するのが通例であったため、実際に、何年にどこの版元が出版したものであるか、というのは、詳細に書誌学的な考証を加えないと判断できない状況にある。
明治以後
1893年(明治26年)の出版法では発行者の氏名・住所、年月日、印刷所の名称・住所、印刷の年月日の記載が義務付けられた。今のような形では、岩波書店が始めたとされている。現在は、義務付けはされていないが、慣習として続いている。
ただし、文部科学省の検定を受けた教科用図書については、「教科書の発行に関する臨時措置法」第3条で著者名、発行者名、印刷業者名等の記載が義務付けられている。
書誌事項
主に以下の事が書かれる。
- 題名
- 著者、訳者、編者、編集者(著作権にかかわる場合に記載されるのが例である)
- 発行者
- 発行所(出版社)
- 印刷所
- 製本所
- 著作権表示
- 検印(廃止されているものが多い。印税を参照)
- 発行年月、版数、刷数(刷り部数を書くこともある)
- ISBNコード
- 価格(多くは裏表紙かカバーに記載、教科用図書については表示無し[3])
表記
奥附
「奥付」は「奥附」とも書くが[4]、「附」の字が1954年の当用漢字補正案で「削る字」とされたため現在でも多くのマスコミが使用を避けており[5]、また当用漢字音訓表・常用漢字表で「附」の字訓に「つく」が挙げられていないため、「奥付」と表記する場合が多い[6]。これは、その書中における位置から付された名称であるが、その役割から付された名称として、
奥書
研究 |
---|
対象 |
料紙 |
装丁 |
寸法 |
|
書籍の一部分 |
奥付証明・奥書証明
資格の申請等の際に、免許状(教育職員免許状、看護師・管理栄養士免許など)などのコピーを添付して提出する折に、それが原本(正本)と同一であることを証明するために、コピーした免許状等の余白部分に、「この写しは原本と同一であることを証明する 何年何月何日 ○○長 何野誰某」のように記載することを、「奥付証明」または「奥書証明」と称する[注 1]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 図書館用語辞典編集委員会『最新図書館用語大辞典』柏書房、2004年、32頁
- ^ 図書館用語辞典編集委員会『最新図書館用語大辞典』柏書房、2004年、433頁
- ^ 「文部科学大臣が認可し、官報で告示した定価(上記の定価は、各教科書取次供給所に表示します。)」と表記されている。
- ^ 戦前の辞書である上田・松井(1919年540ページ、283コマ「おく・づけ」)の漢字には「奥附」という表記のみが記され、「奥付」は見られない。実際の用例としては、兵藤(1909年)の奥付に「最新獨和兵語字典奥附」という一文が記されていることなどが挙げられる(信岡2004年39ページ図10)。
- ^ 実際にはこの補正案は実施されておらず、現在の常用漢字にも「附」は含まれている。
- ^ 漢字表記に関しては正統主義寄りの新明解でさえ単に「奥付」としており(第5版)、注としても「奥附」は示していない。
- ^ 刊記と木記については、日立ソリューションズ(2010年)に端的な解説がある。名古屋大学(2005年7ページ中ほど)に実例があるので、参照されたい。
参考文献
- 上田万年、松井簡治『大日本国語辞典』 第1巻、金港堂書籍、1919年 。
- “名古屋大学附属図書館2005年企画展 説話 (はなし) の書物 小林文庫本を中心に” (PDF). 名古屋大学 (2005年6月17日). 2010年11月27日閲覧。
- 信岡資生「明治期の兵語辞書について(三)ドイツ語を中心にして」『成城大学経済研究』第165号、成城大学経済学会、2004年6月20日、pp. 1-45、NAID 110004028076。
- “刊記”. 百科事典マイペディア. 日立ソリューションズ (2010年5月). 2010年11月27日閲覧。
- 兵藤三郎『最新独和兵語辞典』兵事雑誌社、1909年11月。
- 丸山昭二郎編 編『洋書目録法入門 つくり方編』日本図書館協会〈図書館員選書 6〉、1986年5月。
ISBN 4-8204-8602-0。
- 丸山昭二郎編 編『洋書目録法入門 つくり方編』(改訂版)日本図書館協会〈図書館員選書 6〉、1990年6月。 ISBN 4-8204-9005-2。
- 橋口侯之介『和本入門 千年生きる書物の世界』平凡社、2005年10月。 ISBN 4-582-83292-X。
- 廣庭基介、長友千代治『日本書誌学を学ぶ人のために』世界思想社、1998年5月。 ISBN 4-7907-0710-5。
- 藤井隆『日本古典書誌学総説』和泉書院、1991年4月。 ISBN 4-87088-472-0。
- 山岸徳平『書誌学序説』岩波書店〈岩波全書セレクション〉、2008年2月(原著1977年12月)。 ISBN 978-4-00-021893-1。
関連項目
外部リンク
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奥付
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「ドラゴンクエストへの道」の記事における「奥付」の解説
オリジナル版には『週刊少年ジャンプ』の編集部や株式会社小学館プロダクションが関わっており、発行者は当時エニックスの社長であった福嶋康博の名義となっている。コミックス版には本作にも登場する千田幸信が発行人として、『月刊少年ガンガン』初代編集長の保坂嘉弘が編集人として、それぞれ関わっている。#書誌情報の節も参照のこと。
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