大島本を底本にした校本に
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「源氏物語大成」の記事における「大島本を底本にした校本に」の解説
しかし、当時源氏物語本文についての研究が急速に進展しており、河内本系の写本の本文よりも青表紙系の写本の本文の方がより良質な本文であることが次第に明らかになってきたことに加えて、その1,2年前に青表紙本系統の極めて良質な写本であると考えられた大島本の存在が明らかになった。そこで池田は、完成していた稿本を破棄し、大島本を底本にして校本の作成作業を一からやり直すことにし、さらに約10年をかけて1942年(昭和17年)10月、ようやく『校異源氏物語』全5巻は中央公論社から刊行された。 この校本完成までの作業は、それまで日本では、中でも国文学の世界では全く知られていなかった西洋の正文批判に関する研究成果を取り入れるため、文献を取り寄せて学びながらの作業であったとされている。本来の源氏物語の本文校訂の作業と並行して方法論に関する研究論文を発表したり、学んだ研究方法を小規模な作品の本文に適用して実践するということも行われた。 また、現在のように調査・研究の対象となる価値のある写本が公的な施設や大学等の研究機関よりも大名や公家の流れを汲む名家や個人の資産家に多く所蔵されていた時代であり、写本の調査を拒否されたり、許されてもさまざまな制約を付けられる場合も少なくなかった。一度閲覧を許されて調査を開始したものの、作業半ばでそれ以後の調査を拒否された写本もあったとされている。少なくない写本が様々な理由により研究を制約された。数多くの重要な写本は写本を写真に撮ることなども許され、そのフィルムの枚数は約50万枚にも及んだものの、写真を撮るために持ち出したり、あるいは撮影機材を写本の所蔵場所に持ち込んだりすることが許されず、「所蔵者ノ都合ニヨツテ極メテ短時間ノ内ニ調査シ、再調ノ機会ヲ許サレナカツタ」として調査を中断せざるを得なくなり、完了した部分についても校異を採用することが出来なかった大沢本や、当時出版されていた源氏物語の小型の印刷本を写本を所蔵している場所に持ち込んで本文の異同をその場で目で確認しながらその本に書き込むという方法によって本文異同を採録したような写本も存在する。また池田が直接写本の調査をすることが許されず、過去に別の研究者が行った調査の結果を間接的に利用することしか出来なかった写本もあるとされている。例えば池田は当時日本に居住していたある外国人資産家に渡った「阿仏尼本」と呼ばれる貴重な写本について調査を申し入れたものの、「極めて屈辱的な扱いを受けた上写本の調査を許されなかった。」と記している。 長期間の大規模な作業の結果できあがった校本は当初の計画より遙かに大規模な出版物となっていった。そのため最初に予定されていた出版社からは出版を断られてしまう事態になり、一時は出版を諦めて完成原稿を資料として東京大学図書館に所蔵するに止めるといったことも考えられていたが、池田ら関係者がさまざまな伝手をたどった結果、中央公論社が谷崎潤一郎による『谷崎潤一郎訳源氏物語』の出版に続く源氏物語の出版事業として同社から1942年(昭和17年)10月に『校異源氏物語』全5冊として一千部限定で出版されることになった。なお、「芳賀矢一記念会」は『校異源氏物語』の出版後、目的を果たしたとして解散しているが、「源氏物語大成 校異編」には藤村作が同記念会を代表する形で序文を寄せている。(なお、完成した研究成果を芳賀矢一に献呈するという記念会の当初の目的そのものは1927年(昭和2年)に同人が死去してしまったため叶わなかったものの、1953年(昭和28年)6月20日には、「芳賀矢一記念会」代表であった藤村作の発案により芳賀矢一の墓前に刊行されたばかりの『源氏物語大成 巻1』を献じ「奉告祭」を行っている。)ただ形になった成果が出るまでにこれほどまでに時間がかかってしまったことに対して、芳賀矢一が死去して5年ほどたった頃には「池田はいったい何をしているのだ」という批判が起こったという。またさらに本書の校異編において「簡明を旨とする」ことが校本の基本的な校合方針として採用されたのは、いつまでも完成しないことに対する批判を池田亀鑑が気にして完成を急ぐためにとった方針であるという。池田は生涯に亘って数多くの書物を著しているが、本校本の完成を前にして『伊勢物語に就きての研究』(1934年(昭和9年)、大岡山書店)から『古典の批判的処置に関する研究』(1941年(昭和16年)、岩波書店)までの数年間は専ら本校本の作成に専念するために大規模な著作を著してはいない。
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