大学時代・箱根駅伝などで大活躍
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「下田裕太」の記事における「大学時代・箱根駅伝などで大活躍」の解説
高校卒業後の2014年4月、青山学院大学に進学し同大学陸上部・長距離ブロックに所属する。大学1年生時、2015年1月に行われた第91回箱根駅伝には、16人のエントリーメンバーとして登録されたものの、補欠に留まり出走できなかった。箱根駅伝の2ヵ月後の日本学生ハーフマラソンでは、この年の箱根駅伝で4区区間記録を樹立した同期の田村和希とともに1時間2分22秒とジュニア日本歴代4位の好記録でゴールした。順位は田村が8位、下田が9位であった。 大学2年生となり、10月の第27回出雲駅伝競走で自身大学駅伝へ初出場を果たす。4区を担当し駒澤大学の馬場翔大との先頭争いに競り勝ちタスキをつないだ。青山学院大学は3年ぶりに出雲駅伝を制した。11月の第47回全日本大学駅伝選手権大会で2度目の大学駅伝出走。5区を担当し2位から1位に順位を上げ、今大会で唯一東洋大学を抑えて先頭でタスキリレーをした。下田は区間賞を獲得したが、青山学院大学は最終的に東洋大学に敗れ総合2位に終わった。 2016年1月の第92回箱根駅伝で箱根駅伝初出場。復路8区を区間歴代3位となる1時間4分21秒で走り、区間2位の馬場翔大(駒澤大学)と1分以上も差を付け区間賞を獲得。青山学院大学は往路1区から1度も先頭を譲らない往復完全優勝を大会史上39年ぶりに成し遂げた。大学駅伝史上最強とも呼ばれる層の厚さを誇った2015年度の青山学院大学のメンバーの中で、この年度の大学三大駅伝すべてに出場したのは、「青学四天王」と呼ばれる主力選手のうちの3人である久保田和真・小椋裕介・一色恭志と下田のみであった。 2015年11月に行われた10000mの記録会で、それまでの自己ベストを大幅に上回る28分33秒77の記録を出した。
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大学時代・箱根駅伝などで大活躍
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「神野大地」の記事における「大学時代・箱根駅伝などで大活躍」の解説
2012年に青山学院大学(東京都渋谷区・本部)に入学し、同陸上競技部・長距離ブロック(神奈川県相模原市・本拠地)に所属。入学当初の2012年アジアジュニア陸上競技選手権大会の10000mに出場し、31分22秒20の記録で銀メダルを獲得。しかし、その後は同学年の久保田和真や小椋裕介の活躍の陰に隠れ、トラックレース等でも目立った活躍はなく、1年次は三大駅伝の出場もなかった。 しかし、2年次になると急成長し、初の大学駅伝となった第25回出雲駅伝では最長区間であるアンカー6区を任され、区間4位の成績を残した。第45回全日本大学駅伝でも各校のエース級が揃う2区を任され、区間6位の成績を残した。第90回箱根駅伝は2区を任され、一色恭志から6位で襷を受け取ると終盤に日本体育大学の本田匠を抜き5位に順位を上げ、区間6位の記録を残した。 3年次になるとチームのエース格に成長する。2014年5月25日に行われた、第93回関東インカレ2部ハーフマラソンでは1時間04分23秒の成績で優勝。第46回全日本大学駅伝ではアンカーを任され、明治大学の大六野秀畝とのラストスパートに競り負ける。 第91回箱根駅伝では、当初は前年に引き続き花の2区を任され、山登り区間の5区は一色恭志が任される予定であった。ところが、山道での練習において一色より速いタイムで走ったことから、原晋・長距離ブロック監督により一色と入れ替わりで急遽5区に抜擢され、原監督曰く「1時間17分台」を目標とした。そして、2位で襷を受け取ると序盤からハイペースで入り、10.5km過ぎで襷を受け取った時点で46秒差あった先頭を走る前評判で優勝候補筆頭に挙げられていた駒澤大学を抜くと、標高差864mの上り坂を平地のような走りで駆け上がり、最高点を過ぎてからの終盤の下り坂に入ってもペースを落とさず、1時間16分15秒という驚異的なタイムで、2位の明治大学に4分59秒の大差をつけ、大学史上初の往路優勝に貢献した。 この記録は第90回箱根駅伝後の2014年2月7日をもって従来の5区および6区の通過点となっていた函嶺洞門が通行禁止となり、第91回大会から函嶺洞門バイパスへとコースが変更となった ため、神野の記録は新コースでの区間記録となった。90回まで5区は23.4 km 91回からは23.2kmと記録上距離が短くなっているがこれは再計測によるものであり実質的には20m長くなっている。また、神野以外にも4区でルーキー田村和希が区間新記録を樹立するなど 往路では他の選手も好走したため、往路で5時間23分58秒を記録し、これもコース変更前の2012年の第88回箱根駅伝で東洋大が記録した5時間24分45秒を上回った。 この後、青山学院大は復路でも小椋裕介、高橋宗司、藤川拓也が7〜9区で3区間連続で区間賞を獲得し、6区、10区でも区間2位となるなど、2位以下に大差をつけ、大学史上初の往路・復路・総合を全て制する完全優勝を果たし、総合タイムは10時間49分27秒で史上初めて10時間50分を切る大記録となった。これは、2012年の第88回箱根駅伝で東洋大が記録した10時間51分36秒を上回るものであり、また復路記録も5時間25分29秒と、2014年の第90回箱根駅伝で東洋大が記録した5時間25分38秒を上回った。そして総合優勝に大きく貢献したことで、神野は青山学院大学で史上初となる「金栗四三杯」を受賞した。 4年次にチームの主将に就任した。しかし、二度の疲労骨折で故障したシーズンであった。青山学院大学が優勝を果たした10月の出雲駅伝は、大事を取り欠場。実戦復帰となった11月の全日本大学駅伝では、最終8区を走ったが、思うように走れず区間8位のブレーキとなり、チームも東洋大学に敗れ、2位に終わる。全日本大学駅伝の翌日にも足に違和感を覚え、三度目の全体練習離脱となり、箱根駅伝出場も危ぶまれた。しかし、故障しながらも個人メニューをこなし、箱根駅伝には何とか間に合った。 第92回箱根駅伝では、前年と同じく5区を走り、前年ほどの快走にはならなかったものの、1時間19分17秒の記録で、区間2位の成績となる。青山学院大学は、1区を走った久保田和真から最終10区を走った渡邉利典まで首位を保ち、1977年の第53回箱根駅伝以来の39年ぶりとなる完全優勝を果たし、2連覇した。 2016年2月27日に開催された日本選手権クロスカントリーのシニア12キロでは、36分02秒のタイムで市田孝(旭化成)に続く2位だった。
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