大学時代・漫画家デビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 17:22 UTC 版)
高校を卒業後、福岡市内の九州産業大学へと進学し下宿生活を始める。大学では芸術学部デザイン学科に進んで広告デザインを学び、映画関係の仕事がしたいと考えていた。漫画は引き続き賞金目当ての投稿を続けており、喫茶店に通うようになったことから漫画もよく読むようになった。 金のない下宿生活の中で、手塚賞の賞金が100万円である事を知り、応募を決める。それまでは手塚賞の存在を知りながらも『週刊少年ジャンプ』(集英社)主催である事を知らず、同誌を読んだ事もなかった。ちょうどネームも描かずに一日1ページずつぐらいでなんとなく描きためていた作品があった事から31頁にまとめて投稿。この作品「スペースエンジェル」が準入選となって賞金20万円を手にし、入社一年目だった堀江信彦が担当編集に付く。その後描けば金になるとの理由から催促されるままに3編の読切を描き、そのなかの「おれは男だ!」が『WJ』に掲載されて在学中にデビューを果たす。
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