大学時代・農林官僚として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 03:43 UTC 版)
「河上敢二」の記事における「大学時代・農林官僚として」の解説
大学は医学部の保健学科に進学し、公務員になることを目指していたが、当時の保健学科に公務員職は無く、周囲に公務員を目指していた者は河上くらいだったと言う。 公務員試験は1回で合格し、大学卒業と同時に農林水産省に入省。入省後、山村振興対策、加工原料乳生産者補給金の補助、日本型食生活の普及、対米農産物貿易の窓口の補佐、JASの木材規格に関する交渉、リンゴの検疫に関する交渉、農業白書の策定などに携わり、食糧消費対策室に配属されて日本型食生活の普及に携わった際に保健学科で学んだ知識が生かされたと語っている。 外務省へ出向し、在イタリア日本国大使館で勤務した際には、難民援助などを担当し、この頃の経験が熊野市のまちづくりに役立っていると語っている。また、この頃に見たスイスやドイツなどの花が街に溢れた様子に好感を抱き、市長に就任して始めた「花いっぱい運動」もこれの影響であると語っている。
※この「大学時代・農林官僚として」の解説は、「河上敢二」の解説の一部です。
「大学時代・農林官僚として」を含む「河上敢二」の記事については、「河上敢二」の概要を参照ください。
- 大学時代・農林官僚としてのページへのリンク