長距離ブロック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 06:55 UTC 版)
「青山学院大学陸上競技部」の記事における「長距離ブロック」の解説
長距離ブロック・男子の部は1943年の靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会で東京箱根間往復大学駅伝競走へ初出場。その22年後の1965年の第41回大会に再び出場を果たし、以降12年連続出場・シード権獲得を2回達成している。しかし、アンカー4年の杉崎孝がゴール150 m手前で脱水症状のため転倒、意識を失って途中棄権をした1976年の第52回大会を最後に箱根路から遠ざかる。 2004年、かつて中国電力所属の元陸上選手で、陸上部を退部後は当社の営業マンを務めていた原晋を招聘。5年後の第85回箱根駅伝(2009年)記念大会に於いて、史上最大のブランクとなる33年ぶりに同陸上部の出場を果たしたが、総合22位だった。 2009年の第41回全日本大学駅伝対校選手権大会に初出場・15位。翌年の第86回箱根駅伝(2010年)大会では8位に躍進し、41年ぶりのシード権を獲得。 2010年、第22回出雲全日本大学選抜駅伝競走に初出場・11位。2年ぶり2回目出場の第43回全日本大学駅伝は9位。第87回箱根駅伝(2011年)は、10区・アンカーにおいて他3校(日本体育大学・國學院大学・城西大学)とゴール寸前迄壮絶なシード権争いのデッドヒートを展開し、9位と2年連続してシード権獲得。 2011年、2年連続2回目出場の第23回出雲駅伝で10位。2年ぶり2回目出場の第43回全日本大学駅伝は9位。第88回箱根駅伝(2012年)は往路・復路共に7位ながら、青山学院大学としては当時史上最高位の総合5位に食い込んだ。 2012年、3年連続3回目の第24回出雲駅伝で「三大大学駅伝」初優勝を達成。だが、第89回箱根駅伝(2013年)では8位に終わった。 2013年からアディダスとのパートナーシップ契約を結んだ。 2013年、第25回出雲駅伝は5位、第45回全日本大学駅伝は6位。第90回箱根駅伝(2014年)でも最高位タイの総合5位に留まった。 2014年、第26回出雲駅伝は平成26年台風第19号の上陸に伴い、同大会初の開催中止。第46回全日本大学駅伝は3位。第91回箱根駅伝(2015年)では、ついに青山学院大としても史上初となる悲願の総合初優勝を成し遂げた。 2015年、第27回出雲駅伝で3年ぶり2回目の優勝。第47回全日本大学駅伝で2位。第92回箱根駅伝(2016年)で2年連続の総合優勝を果たした。全区間を首位で通過する完全優勝は、第53回大会の日体大以来、39年ぶりのことである。 2016年、第28回出雲駅伝で2年連続3回目の優勝を皮切りに、第48回全日本大学駅伝でも初優勝。第93回箱根駅伝(2017年)で完全優勝による3連覇と「大学駅伝三冠」を初めて達成した。 2017年、第29回出雲駅伝で2位。第49回全日本大学駅伝で3位。第94回箱根駅伝(2018年)において、往路は東洋大学に36秒差で先を越されたが、翌日の復路では圧倒して史上6校目となる4連覇を果たした。 2018年、第30回出雲駅伝で2年ぶり4回目の優勝、第50回全日本大学駅伝も2年振り2回目の優勝を達成。第95回箱根駅伝(2019年)で2年ぶり2回目の「大学駅伝三冠」と、及び史上3校目となる5連覇を狙ったが、往路6位の出遅れが響いて総合では2位に留まった(但し5年連続での復路優勝を果たす。総合優勝は東海大学)。 2019年4月、原晋が青山学院大・地球社会共生学部の教授職を兼任。第51回出雲駅伝で5位。第51回全日本大学駅伝は2位。第96回箱根駅伝(2020年)において、2年振り5回目の総合優勝に返り咲いた。 2020年4月、長距離ブロック男子新コーチに加藤学園高等学校・元監督の勝亦祐一が就任。第32回出雲駅伝は新型コロナウイルス (COVID19) 感染拡大による影響で、6年ぶり2度目の同大会中止。第52回全日本大学駅伝で4位。第97回箱根駅伝(2021年)においては、往路12位と大きく後手に回ってしまい、総合4位に終わった(復路では2年振り6回目の優勝を達成。総合優勝は駒澤大学)。 2021年、第53回出雲駅伝で2位、第51回全日本大学駅伝も2位。第98回箱根駅伝(2022年)において、2年ぶり6回目の総合優勝(往・復路共に完全首位)と、及び10時間43分42秒の大会新記録をマークした。
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