マネージャーから指導者への道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 23:29 UTC 版)
「大後栄治」の記事における「マネージャーから指導者への道へ」の解説
東京都出身。日体荏原高等学校から日本体育大学に入学した大後も、箱根駅伝出場を夢見ていた選手だった。しかし故障もあって満足に走れず、他の多くの選手と共に埋もれていた。そんな中2年生になって上級生の助言もあってマネージャーに転向。大後と入れ替わりに卒業した谷口浩美、大塚正美の時代からチームは監督、コーチが不在という状況が続いていた。その為、普通なら監督やコーチ、部長などがやるような部の運営そのものを学生がやることになっていた。しかし高校時代も指導者不在を味わっている大後は臆せずにマネージャーとしての階段を上っていく。4年時にはキャプテンと共に長距離ブロックの両輪として部の運営の矢面に立つ活躍。年末の箱根駅伝記者会見では並みいる各校の年配の指導者に混じって学生服姿の大後がマイクを握った。しかし学生主体ゆえの詰めの甘さもあって、遂に箱根駅伝優勝を在学中に叶えることは出来なかった。 これがきっかけで大後は指導者としての道を描くようになる。卒業間際に行われた日本体育大学の大学院2次募集に挑み、見事に合格する。大学院時代はそれまでとは違い、「色々な人と話ができたり、リラックスしながら次の道を探る為の充電期間だった」と後に大後は語っている。
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