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墓守〈朝倉文夫作/石膏原型〉

主名称: 墓守〈朝倉文夫作/石膏原型
指定番号 3496
枝番 00
指定年月日 2001.06.22(平成13.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 近代
年代 1910
検索年代
解説文:  両手背後組みわずかにうつむいて微笑する老人立像で、明治から昭和にかけて日本彫刻界を主導してきた朝倉文夫作品である。
 本体台座とも石膏造になる。表面褐色着色なされているが、朝倉自身の言によれば表面ペンキ塗った最初の像であるという。
 朝倉文夫は、明治十六年(一八八三)大分県直入郡竹田生まれその後上京して東京美術学校彫刻選科入学卒業後、弱冠二五歳のときに第二回文部省美術展覧会第三部、以下「文展」)(明治四十一年一九〇八)に「闇」出品し二等賞を受賞した以後初期文展最後第十二回(大正七年)に至るまで毎回出品し続け第八回までは二等ないし三等賞を連続受賞したその後帝国美術院美術展覧会新文展に至るまで数多く作品出品し続けたまた、文展等に出品し受賞重ね一方大正十年一九二一)には東京美術学校教授就任文展審査委員など幾多審査委員務めアトリエ朝倉塾(のち朝倉彫塑塾)として開放し昭和三十九年(一九六四)に没するまで後進の指導育成図ってきた。
 本像は、第四回文展明治四十三年一九一〇)に出品され作品である。本展覧会には、荻原守衛の絶作である「女」三等賞、重文)なども出品され、本像は最高位二等賞を得た
 モデルは、学生時代より馴染みのあった谷中天王寺の墓守であるという。朝倉によればモデル台に立たせる固くなるためブラブラ歩いて面白いと思った姿勢をとり、家のものが指す将見て無心笑っている自然な姿を横からとらえて作ったという。強いテーマ性のあるものではなく老人の自然な立ち姿表現するという自然観照による写実的な作品あらわし細部仕上げにはこだわらない大胆な塑形技法によって安定感ある自然な造形表現にまとめ上げている。朝倉は、本像製作を機に客観的な自然主義に製作態度変化したという。その後卓抜な写実技術評判呼び生涯にわたり四百点にまで及ぶ肖像彫刻製作している。
 本像は、それまでロダン彫刻影響とは異な客観的な自然主義による作品として、その後日本における具象彫刻主流をしめた意義後進与えた影響大きくわが国初期洋風彫塑到達した写実主義の一頂点を示す作品として高く評価される




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