古代日本の系譜と天皇系譜
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「欠史八代」の記事における「古代日本の系譜と天皇系譜」の解説
古代の天皇系譜について論じる際に考慮しなければならないこととして、古代日本における系譜には複数の類型があったことがある。これは今日の日本で一般にイメージされる家系図とは異なるものであった。義江明子によれば、古代日本語の「コ(子・児)」という言葉には「祖の子(おやのこ)」と「生の子(うみのこ)」の区別が存在した。この2つの「コ(子・児)」の概念が古くは明確に区別されていたことは、系譜においてそれぞれが異なる様式で記載されていることから理解できるという。「生の子」は男女の間に生まれた文字通り直接血を引いた「子供」であった。そしてこのような親と子の関係を系譜で表す際には「A娶B生子C(AがBと娶いて生む子C)」という形で同母単位で記載された(義江はこれを「娶生」系譜と呼んでいる)。このような系譜の実例には『古事記』における天皇系譜や『天寿国繡帳』の聖徳太子系譜、群馬県高崎市の山ノ上碑(681年)記載の系譜などがある。そしてもう一つの系譜形式が地位継承次第系譜である。これは「祖の子」を表現する系譜であり「祖の子」とは生物学的な意味での直接の親子関係ではなく一族間でのある公的地位の継承における後継者を指すものであった。地位継承次第系譜の代表的なものが海部氏系図である。これは海部氏の系譜をその始祖から「児A-児B-児C..」という形式で一筋に繋いでいく形式を取り「国造奉仕」「祝奉仕」など天皇(大王)に対する職掌奉仕の記載を伴うという特徴を持つ。同様の形式の系図には『下鴨系図』がある。これらの系図で「子・児」字で繋がれている人物の中には実際の続柄が把握されているものがいるが、父子関係になく兄弟・傍系や続柄に五世代もの隔たりがある場合も含めて「子・児」と表現されている。即ち、この形式で書かれた系譜では、「A子(児)B」と書かれた人物間の関係が親子とは限らず、本質的には地位の継承を記録したもの(地位継承次第)であることが理解される。古代日本においてはある集団(ウヂ、氏)の族長位(氏上)は特定の系統(本宗家)に固定されておらず、必ずしも血縁関係にはない諸氏がよりあつまって巨大な集団を形成し族長位を継承していたと考えられ、この継承関係こそが系譜に「子・児」として一線で結ばれる「祖の子」であった。 現在知られる限り、日本で発見されている最古の系譜が稲荷山古墳出土鉄剣銘である。稲荷山古墳出土鉄剣は、1978年に埼玉県行田市の稲荷山古墳で出土した銘入りの鉄剣であり、銘文には、「ワカタケル大王(一般に雄略天皇とみなされる)」に杖刀人の首として奉事したという乎獲居(ヲワケ)臣という人物の系譜が記されており、作成時期の「辛亥年(471年)」も記録されていた。この系譜は「上祖、名は意富比垝(オホヒコ)、其の児、名は...」という形式で8代にわたって遡っている。一見して全員を父子関係として記録しているように理解されたことと、上祖とされる意富比垝が孝元天皇の第一皇子大彦命に相当すると考えられたことから、欠史八代の実在を巡る議論でも大いに注目された。直木孝次郎は鉄剣の銘文にある「辛亥年」の471年時の雄略朝に記紀的な系譜ができていたら、「意富比垝」で止めるはずがなく、「孝元天皇から始まる系譜を書くにちがいない」として、「その時にはまだ『記紀』に採用された『帝紀』と『旧辞』は成立していなかったという証拠になると思う」と述べている。近年では、「児」字を用いて人物を一線に繋ぎ「杖刀人の首」という地位への言及を示すこの系譜は実際の父子関係ではなく「祖の子」を表す地位継承次第の原初的な形であると理解される。 こうした古代の系譜の在り方が欠史八代を含む『記紀』の天皇系譜の形態にも影響を及ぼしていると考えられる。古い日本の氏族において「本宗家」が確立していなかったのは天皇家も同様であったと考えられ、一つの血統による世襲王権の成立は概ね継体天皇から欽明天皇の時代(6世紀)以降であることは学界における共通認識となっている。それに平行して父系原理が定着するにつれ「娶生」系譜は作られなくなり、父系の出自を連ねた父系出自系譜が基本となって行った。『日本書紀』の天皇系譜は古い「娶生」系譜の形式をそのまま残す『古事記』と異なり「娶」字を用いないが、皇子女を同母単位で列挙するという「娶生」系譜の様式を部分的に残している。ここから、元来「娶生」系譜形式であった系譜伝承を父系的な形式に変換したことが窺われ、『続日本紀』の時代には天皇系譜は完全に父系形式で記載されるようになる。義江明子は、一系的な父系系譜を要求する情勢の中で「娶生」系譜的な情報が父系系譜へと組み替えられたり、「コ(子・児)」を連続させていく地位継承次第の系譜が父子直系として読み替えられるなどの編集を経て日本の王統譜が確立していったのだとする。
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