古代日本文化と道教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 02:32 UTC 版)
古くは、古墳時代前期の遺跡から発掘されている三角縁神獣鏡には神仙の像が刻まれたものがあり、合わせて不老長寿・富貴栄達・子孫繁栄を願う文が記されている。神仙思想は「常世国」の観念と結びつき、不老不死の仙人が住む理想郷としての常世国が考えられるようになった。『浦島太郎』の物語となった『日本書紀』の記録においては、常世国と蓬莱山が結び付けられている。日本の神と道教神話が関係する場合も多く、たとえば天理市石上神宮のフツノミタマには道教の尸解仙のイメージが重ね合わされており、その逸話は『荘子』と共通する部分がある。こうした古代日本文化と道教の関係は、福永光司によって網羅的に論じられている。 神仙思想のほか、医薬の術・養生法・除災の呪術・占術といった日常生活に密接に結びついた実用的・具体的な面も多く受容された。『日本書紀』によれば、6世紀に百済から易博士・暦博士・医博士・採薬師などが派遣されたほか、7世紀初期には僧侶によって暦本や遁甲方術の書がもたらされた。こうした技術の中には、道教の要素の一つである陰陽五行思想や呪禁・占い・おふだなどが含まれている。こうした技術は、大宝律令によって陰陽寮(陰陽・暦・天文・漏刻)と典薬寮(医薬)が設置され、律令国家の中に組み込まれることとなった。また、927年成立の『延喜式』に記された天地の神々に対する祭祀においては、そこで用いられる祝詞に儒教・道教の色濃い影響が見受けられる。 また、呪術やおふだも広く用いられており、古代から中世に至るまで多数の「呪符木簡」が発見されている。これは短冊状の木の板に符の文様と文字を記したもので、さまざまな用途に用いられた。中世から近年に至るまでよく用いられている道教由来の呪文に「急々如律令」という言葉がある。これはもとは中国の公文書の決まり文句が道教の呪術に転用されたものであり、日本では修験道で広く用いられたほか、瓦の魔除けやおふだ、また仏教寺院で用いられている例もある。また、修験道で用いられる九字護身法も『抱朴子』に由来し、もとは道教系統の呪文である。
※この「古代日本文化と道教」の解説は、「道教」の解説の一部です。
「古代日本文化と道教」を含む「道教」の記事については、「道教」の概要を参照ください。
- 古代日本文化と道教のページへのリンク