厳格な宗教政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:02 UTC 版)
アウラングゼーブの治世には、父帝シャー・ジャハーンの治世から強まった宗教不寛容がさらに強まり、ムスリム以外の異教徒が弾圧され、とりわけヒンドゥー教徒にその傾向が強まった。シャー・ジャハーンといえども、特別な事情がない限りは大幅な宗教寛容をとってきた。アウラングゼーブ自身、祖母や曾祖母はラージプートの女性でヒンドゥー教徒であり、ティムールの血も随分と薄まっていたが、彼は過去の皇帝とは違って異常なまでにイスラーム教に傾倒していた。 即位の翌年、1659年にアウラングゼーブはヴァーラーナシーの行政官に命じて、同地に新しく建てられたヒンドゥー寺院を破壊させた。また、新たなヒンドゥー寺院の建築を禁じ、10年から12年以内に建てられた新しい寺院を取り壊すよう命じた。このとき同時に、ムスリムには禁忌食物の接取や飲酒、博打、麻薬などの娯楽行為を禁じていることから、ムスリムにもイスラーム教の教理に反することを認めておらず、双方に厳しい態度をとっていたことがわかる。 しかし、1660年代にマラーターなどヒンドゥー勢力が台頭し、帝国の領土に侵入するようになると、アウラングゼーブは異教徒抑圧に力を入れるようになった。アウラングゼーブは治世の前半、歴代皇帝が行なってきた融和路線に基づく穏健な宗教政策を完全に改めた。これ以降、アウラングゼーブは保守反動的な宗教政策を取り、他宗教に厳しい弾圧を行った。 アウラングゼーブは自身が手本となるよう、祈りや断食、その他イスラーム教の義務を毛厳守することを実行し、宝石など身に着けずに羊毛や綿の衣服といった質素な服装のみを着付けていた。彼はその側近にもこれを厳しく要求し、デリーとその近郊においてこれらは厳格に保たれていた。 アウラングゼーブの治世、ウラマーは重用され、アクバルの治世に失った領地や権威などを取り戻した。1660年代から1670年代にかけて、アウラングゼーブはムガル帝国の法体系を確立するためにウラマーにこれまでの判例集を収集させ、判例集「ファターワーイェ・アーラムギーリー(アーラムギールの教令集)」を編集させた。 1669年4月9日、アウラングゼーブは帝国全土でヒンドゥー教の寺院を破壊するよう勅令(ファルマーン)を出した。これにより、グジャラート、マトゥラー、ヴァーラーナシー、ラージプーターナーなどのヒンドゥー寺院が積極的に破壊された。寺院にあった宝物や偶像は奪われるか砕かれ、大部分はアーグラへと送られた。 同年、ジャート族の農民とザミーンダール20,000人がマトゥラー方面で反乱を起こすと、アウラングゼーブは自らその反乱を鎮圧し、翌1670年1月にマトゥラーのケーシャヴァ・デーヴァ・ラーイ寺院を破壊した。これに対してもジャートの反乱が起きたが、アウラングゼーブは首謀者を捕え、その体をアーグラで八つ裂きにした。 また、カーシー・ヴィシュヴァナート寺院やヴィシュヴェーンドラ寺院が破壊されたヴァーラーナシーでは、ヒンドゥーとムスリムがカーシー・ヴィシュヴァナート寺院の跡に建てられたギャーンヴァーピー・モスクで乱闘騒ぎを起こした。そのため、こういった騒ぎが起きたいくつかの州では、命令を実行しない、あるいは賄賂を受け取ることで解決する州も出てきた。 また、1660年代にシク教の教主テーグ・バハードゥルが北インドを縦断して布教を行い、多くの人々がシク教に改宗し、なかにはイスラーム教から改宗したものもいた。アウラングゼーブはこれを許さず、1675年にテーグ・バハードゥルを捕らえ、彼をイスラーム教冒涜の罪で処刑した。これ以降、シク教徒はゴーヴィンド・シングに率いられ、アウラングゼーブの治世を通してムガル帝国に反抗した。 その他にも、ムスリムとヒンドゥーとのあいだいに関税や巡礼税(聖廟や祭礼に行く際に課される税)などで差を設けたり、ヒンドゥーの祭りを祝うことを禁じ、ヒンドゥー教徒が馬や象、輿に乗ること、武器を携行することも禁じた。役人の採用ではムスリムを優先したり、ヒあるいはヒンドゥーをムスリムに変えたりして、ムスリムとヒンドゥーの比率が50パーセントに固定された。 アウラングゼーブはヒンドゥー教徒に過酷な弾圧を加えることで、帝国の大多数を占めるヒンドゥー教徒をイスラーム教に改宗させようとし、またイスラーム教を厳格に遵守させ、帝国を真のイスラーム国家に導こうとした。だが、近藤治は、「ムスリムが少なかったムガル朝インドの政治風土では、結局、分離主義的な方向に向かわざるを得なかった」と述べている。アンドレ・クローもまた「イスラーム教ですらかつて体験したことのない教条主義の対象となったため、皇帝は逆に孤立を深めた」、と主張している。
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