南部の旗を掲示すること
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 15:47 UTC 版)
「アメリカ連合国の国旗」の記事における「南部の旗を掲示すること」の解説
「南部連合旗」や「南軍旗」(実際には、南部海軍旗であるレベル・フラッグ)は今でも広く認識されているシンボルである。しかし、この旗が実際何のシンボルであるかについては意見の一致が見られないため、この旗を掲示することは論議を起こし非常に感情的な問題となる。 合衆国南部の白人の多くにとっては、この旗は南軍兵士ら南部のために戦った祖先たちに敬意を表して掲げられる旗であり、単に地域の誇りであり歴史遺産にすぎない。あるいは古き良き南部、高潔で高貴な南部の象徴でもある(「南部の失われた大義」を参照)。しかしその他の人々にとっては、この旗は南部連合政府が守ろうとした奴隷制のシンボルであり、南部復興後の各州で制定され1世紀近くの間人種隔離を強制したジム・クロウ法のシンボルでもある。 南北戦争に関する歴史家で南部人のシェルビー・フートによれば、この旗は伝統的に、北部による政治支配に対する南部の抵抗を表現していた。それが1960年代の公民権運動の期間に、南部の抵抗意識が突如、北部のリベラルたちに抗して人種隔離を維持するという方向に向かってしまったため、南部の旗は人種問題の焦点となる旗に変わったという。人種隔離維持派がデモなどを行うときに高らかに南部連合旗を掲げて行進したりしてしまったためその映像を見た多くのアメリカ人にとってマイナス・イメージは決定的となってしまった。今でもクー・クラックス・クランなどの白人至上主義者団体が集会などに於いて南部連合旗を掲揚している場合があり、旗のイメージをさらに悪化させてしまっている。 2000年4月12日、サウスカロライナ州上院は、州議会議事堂のドームの上から南部連合の軍旗(バトル・フラッグ)を撤去するという法案を多数決で可決した。南軍旗は1962年から掲揚されていたが、ある地方紙の記事に拠れば、新しい法案は「より伝統的な型の軍旗を、州議会議事堂の前の戦死した南軍兵士をたたえる記念碑の隣に掲揚する」ことに特化した法案だったという。この法案が下院で審議に入ると、通過は困難に直面した。しかし法案が「新しい旗掲揚台の高さは30フィートにする」とやわらげられたあとの5月18日、法案は多数決で通過し、知事は5日後に署名し、7月1日、旗は議事堂上から撤去され議事堂前に移ったという。現在の州法は、追加の法案なくして議事堂前の地面から南軍旗を移動することを禁じている。南軍旗に反対する人が旗を撤去しようとする事件が数回起こった後、この旗は警官に警備されている。南軍旗は議事堂のドームの上にあったときよりも議事堂前の地面近くで翻っている今の方が、皮肉にも見えやすくなったという人もいた。 2015年6月17日、チャールストンのエマニュエル・アフリカン・メソジスト監督教会で、黒人信徒を狙ったショットガン乱射事件が発生した。ヘイトクライムとみられるこの事件で、犯人の白人青年は自らのウェブサイトで南軍旗とともに写っていた。南部連合旗を人種差別主義者が愛用していたことで、南部連合旗を巡る議論が全米で再燃し、サウスカロライナ州のニッキー・ヘイリー知事は22日に「この象徴物が私たちをこれ以上分断することを許さない」と述べて州議会に議事堂前の南軍旗の撤去を承認するように求めた。州議事堂前の旗は27日に活動家によって引きずりおろされたほか、24日にはアラバマ州が州議会議事堂前の南軍旗を撤去した。ウォルマートなど大手スーパーや、アマゾンなどネット上の通販サイトもこの流れで相次いで南軍旗の取り扱いを取りやめた。与野党の政治家たちも南軍旗に対する批判をネット上などで述べており、バラク・オバマ大統領も南軍旗について「抑圧と人種差別の過去を想起させる」と述べている。7月9日未明、サウスカロライナ州議会で南軍旗を撤去する法律が94対20の賛成多数で可決され成立し、翌10日に撤去された。
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