勢力衰退、同志との決別とは? わかりやすく解説

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勢力衰退、同志との決別

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:48 UTC 版)

谷干城」の記事における「勢力衰退、同志との決別」の解説

ところが、同年から研究会有利になり始め懇話会三曜会不利になっていったきっかけ7月貴族院有爵互選議員改選にあり、明治25年から選挙団体尚友会設立し会員統制組織票集め積極的に会員勧誘し急成長ていった研究会選挙万全態勢整えていった。対す懇話会組織としてまとまりがない上、選挙備えていないため勝負にならず、三曜会共々惨敗喫し研究会有爵議員46当選させたのと対照的に懇話会三曜会あわせて18人しか当選出来ず有爵議員引き抜き不可能になりジリ貧追い込まれ始めた。それでも議員動き流動的で、まだこの時点懇話会三曜会衰退見られず、むしろ懇話会2年後明治32年1899年)では最大68人に増加していた(ただし、三曜会そのまま衰退して解散し朝日倶楽部合併している)。 しかし長期的な衰退避けられず、山縣側近平田東助清浦奎吾それぞれ茶話会研究会押さえ両会派を連携させ、無所属団結成および無所属団茶話会大半入れた幸倶楽部派研究会連携成功する懇話会朝日倶楽部劣勢明らかになった。政府勅選議員茶話会などへ送り込んだことも痛手で、議員引き抜きが更に困難になった懇話会明治32年12月第2次山縣内閣提出した宗教法案の賛成反対巡り内部分裂起こし脱会者を続出させてしまった。谷ら主流派40名は翌明治33年1900年)に「庚子会」と改名し存続図ったが、人数減少により研究会大きく差をつけられますます没落していった。 こうした状況でも谷の政治活動続けられ貧民救済立場から足尾鉱毒事件実地調査被害者救済奔走田口卯吉地租増徴巡り論争宮古島における人頭税廃止運動熱心に応援している。自作農保護観点から地租増徴反対対す田口経済自由主義掲げ賛成論陣張り両者論争陸羯南の『日本』に掲載されたが、現実には地租増徴成立、谷の主張は通らなかった。 明治33年9月誕生した立憲政友会には疑い目を向け10月成立した第4次伊藤内閣増税予算案は、政党利益誘導盛り込まれ民衆負担増に繋がるため、例によって反対に回り研究会幸倶楽部派増税反対貴族院内閣全面対決様相呈した庚子会朝日倶楽部弱体化していたため谷は研究会協力泣いて感謝したが、明治34年1901年3月天皇から政府支持呼びかける勅語下され貴族院は止む無く予算通過させたため無駄になった。以後貴族院政府への反抗控え庚子会朝日倶楽部対す研究会幸倶楽部派優位決定的となり、庚子会朝日倶楽部合併し土曜会改名存続したが、もはや少数派転落し人数40人前後に低迷、かつての立場望めなくなった。谷の主張時勢に合わなくなり貴族院自立主張する一派衰退し衆議院連携した内閣との妥協以後貴族院政治姿勢となった。 谷の頑なな態度近衛や陸といった同志離反も招く。ロシア帝国中国大陸進出する近衛イギリス同盟しロシアとの対抗構想大陸進出反対する谷は近衛離れた日英同盟締結されても「彼に利あり我に利無き」と反対している。陸もロシア強硬論に傾いたため決別、それでも主張曲げず日露戦争時には健全財政論・防御中心軍備主張する政治的立場から開戦反対した。社会学者建部遯吾は娘芳子の夫だったが、主戦論者のため彼とも対立し非戦主張通した戦後芳子建部離婚)。戦後軍縮緊縮財政呼びかけ影響力無くした貴族院執拗に増税反対したが、軍拡積極財政帝国主義主流になる政界で谷の意見却下され続けジャーナリズムから時代遅れ罵倒されても意志貫き通した戦後ポーツマス条約締結されたが、この条約では宗谷海峡間宮海峡相互非武装無害通航定められており、谷は自国内の要衝非武装とされるのは「誠に屈辱」と反対している。 明治44年1911年死去享年75。墓は妻玖満子、父、乙と共に生家に近い安楽寺山城にある。家督養孫で乙長男谷儀一継いだ

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