写真発明以降とは? わかりやすく解説

写真発明以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 19:34 UTC 版)

写真」の記事における「写真発明以降」の解説

19世紀初めにカメラ・オブスクラ映像感光剤とを組み合わせ映像定着させる写真技術は、ほぼ同時に多数発明された。このとき美術新古典主義ロマン主義並存する時期であったまた、大勢誕生した中産階級によって肖像画需要高まっていた。そして、石版画技術新聞図版複製画などに活用され広まりつつあった。 現存する世界最古写真は、1825年ニセフォール・ニエプス撮影した「馬引く男」(Un cheval et son conducteur)である。 現代写真処理は1840年から最初20年一連の改良基底とする。ニエプスによる最初写真のあと、1839年にはダゲレオタイプ発表された。写真誕生同年パリ科学芸術合同アカデミーで、科学者フランソワ・アラゴーによって公式に宣言された。直後カロタイプ発表された。 写真普及肖像写真流行1851年湿式コロジオン法発明1871年ゼラチン乾板発明へと続いた1884年ニューヨークジョージ・イーストマンは紙に乾燥ゲル塗布する方式開発し、もはや写真家乾板の箱や有毒な化学物質持ち歩かなくて済むようになった。1888年7月イーストマン設立したコダックカメラが「あなたはボタンを押すだけ、あとはコダック全部やります」との触れ込み市場参入した。こうして現像サービス企業登場し誰でも写真撮影可能な時代となり、複雑な画像処理道具自前で持つことが必要ではなくなった。1901年にはコダック・ブローニーの登場により写真市場乗った1925年ライカなどの登場一般性可搬性カメラ持ち運びやすさ)、機動性フィルム交換しやすさ高まってスナップ写真が広まるなどした。20世紀以降カラーフィルム多色フィルム)やオートフォーカス自動合焦:ただし必ず自動合焦するわけではない)やオートエキスポーズ(自動露出)が広まった画像電子記録広まっている。 現在ではデジタルカメラ液晶画面によるインスタントプレビューが可能であり、高画質機種解像度高品質35mmフィルムのそれを越えているとも言われるようになったコンパクトデジタルカメラ価格大幅に低下し写真を撮ることはより容易になった。しかし、もっぱらマニュアル露出マニュアルフォーカスカメラ白黒フィルムを使う撮影者にとって、1925年ライカ登場して以来変わった点はほとんどないとも言える2004年1月コダックは「2004年をもって35mmリローダブルカメラの生産打ち切る」と発表したフィルム写真終焉受け止められたが、当時コダックフィルムカメラ市場での役割小さなものであった2006年1月ニコン同様にハイエンドF6ローエンド機FM10を除いたフィルムカメラ生産打ち切る発表した同年5月25日キヤノン新しフィルム一眼レフカメラ開発中止する発表したものの、販売するフィルム一眼レフカメラが1機種になったのは2008年になってからであり、2004年1月ニコン発表以降も4機種ものフィルム一眼レフカメラ供給していた。35mmカメラおよびAPSコンパクトカメラ値段下落してきた。恐らく直接的なデジタルカメラとの競争中古フィルムカメラ市場拡大原因である[要出典]。

※この「写真発明以降」の解説は、「写真」の解説の一部です。
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