任天堂時代とは? わかりやすく解説

任天堂時代 (2000年-2015年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 09:54 UTC 版)

岩田聡」の記事における「任天堂時代 (2000年-2015年)」の解説

2000年6月任天堂社長山内溥経営手腕買われ任天堂入社し取締役経営企画室長に就任した2001年5月米国行われたゲーム見本市「E3 2001」では、同年9月14日発売控えていた新型ゲーム機ニンテンドーゲームキューブに関するプレゼンテーション行った。 『大乱闘スマッシュブラザーズDX』の開発が遅れ、発売予定2001年11月までの完成危ぶまれる事態陥った際には、山梨県ハル研究所出向いて開発現場指揮し不具合調べ作業コードレビューデバッグ)を行った。これがプログラマーとしての最後の仕事となった2002年42歳のときに山内から指名を受け、5月31日付け任天堂代表取締役社長就任任天堂は、1889年山内溥曽祖父である山内房治郎創業し以来山内家同族経営であったため、当初次期社長山内溥長男山内克仁か娘婿荒川実だと思われていた。そうした中での入社2年目岩田抜擢は、異例中の異例であった。なお、それまで会社意思決定社長に一任されていたが、岩田社長就任以降取締役会によって決定されることとなる。これは「今後時代対応するには、集団指導体制にするべき」と考えた山内からの提案である。 社外出身社内基盤弱かったため、社長補佐するための集団指導体制整備され代表取締役増員により、代表取締役会長シャープ出身浅田篤が、代表取締役専務には波多野信治竹田玄洋宮本茂らがそれぞれ就任するなどした。 2003年開催され東京ゲームショウの中で岩田基調講演行い、「日本ゲーム市場では、ゲーム離れ現象進行している」と、業界全体への危機感示したこうした状況打開するため、任天堂は「ゲーム人口の拡大」を基本戦略として位置づけ幅広い層を対象としたハード、ソフトの開発取り組むことになる。 その一環として2004年12月2日に、タッチパネル搭載した2画携帯型ゲーム機ニンテンドーDS」を発売年末商戦期に投入されたこともあり、年末年始のみで約150台を売り上げた翌年2005年からは、多く世代手に取ることを目指したソフト群「Touch! Generations」を展開しミリオンセラーのソフトを複数生み出した。特に『脳を鍛える大人のDSトレーニング』は社会現象となり、略称の「脳トレ」は流行語として広く浸透したまた、ニンテンドーDS利用できるニンテンドーDSブラウザー」や「ワンセグ受信アダプタ DSテレビ」などの周辺機器発売した2006年11月19日には、リモコンコントローラ操作する家庭用ゲーム機Wii」を発売。このWiiでは本体電源毎日入れてもらうことを目指し天気ニュースなど様々なコンテンツを含む「Wiiチャンネル」が内蔵された。また、歴代ゲーム機発売されゲームソフトダウンロード購入してプレイできる仕組みバーチャルコンソール」も導入された。 同2006年からは、任天堂ホームページ上で岩田社内開発者インタビューする企画社長訊く」を開始する当初発売間近に控えたWii本体同時発売Wii用ソフトの開発者に話を聞くのだったが、その後新作ソフトが出る際などに定期的に行われるようになり、他社クリエイター招いて話を訊くこともしばしばあった。 2011年より、発売予定ゲームソフトに関する情報動画岩田直接伝え試みNintendo Direct」を開始。後に、岩田だけでなく任天堂他社クリエイター登場するようになった2011年2月26日発売したニンテンドーDS後継機ニンテンドー3DS」は普及進んだものの、本体価格値下げによる逆ザヤ状態での販売続いたことなどが響き2012年3月期の決算通期営業赤字陥ったまた、2012年12月8日発売したWii後継機Wii U」は販売台数苦戦し、特に海外市場での販売鈍化目立った2013年には任天堂米国法CEO岩田兼任することとなった

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任天堂時代

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レジナルド・フィサメィ」の記事における「任天堂時代」の解説

2003年12月米国任天堂営業部担当上級副社長就任米国・カナダ南米での営業活動全体率いた2006年5月25日君島達己に代わって最高執行責任者昇進アメリカ人として初め米国任天堂トップ立った説得力のある話し方などから個人的人気集めWiiコードネームであるRevolutionをもじって「Reggielution」という言葉生まれた2006年11月から世界各国順次販売開始した据え置き型ゲーム機Wiiでは任天堂社長岩田聡ゲーム開発者宮本茂との激し議論の末、北米欧州向け販売されるゲーム機に『Wii Sports』を同梱させることを実現した2016年6月からは任天堂本社執行役員兼務した。 2019年2月同年4月15日付で米国任天堂退社する表明し後任として営業マーケティング部担当上級副社長ダグ・バウザー英語版)が社長に昇進することを発表したこれに伴い任天堂本社執行役員退任した

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