他の輸送手段との競争の激化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
「日本の鉄道史」の記事における「他の輸送手段との競争の激化」の解説
1960年代後半になると鉄道の旅客と貨物の輸送量は延び続けているが、全体に対する比率は明らかに低下し始めた。例えば旅客輸送量は1960年には国鉄のシェアは51%であったが、1980年には輸送量は増えてはいるがそのシェアは24.7%に低下している(下表参照)。陸上では東海道新幹線が開業した1964年に日本で初めての高速道路である名神高速道路が完成し、民間航空では同年に国内線初のジェット旅客機ボーイング727が飛び始めた。国鉄は輸送量増大と他の輸送機関との競争に対応するため、主要幹線の複線電化を進め「無煙化」を推進すると同時に、幹線列車のスピードアップを行った。この成果を取り入れた1968年秋のダイヤ改正はヨンサントオと呼ばれ、特急と急行を大増発して優等列車による都市間輸送網を形成した。1970年に大阪で開かれた万国博は日本全国から観光客が訪れたが、それまで団体旅行しか経験しなかった庶民が個人旅行に目を向けるきっかけとなった。各鉄道会社は個人客誘致のためのキャンペーン(国鉄のディスカバー・ジャパンやいい日旅立ち)やテレビ番組の提供(国鉄の『遠くへ行きたい』、近鉄の『真珠の小箱』など)を始めた。 また無煙化が進み蒸気機関車が減少するにつれてSLブームが過熱し、鉄道ファンのモラルの低下が指摘されるようになった。国鉄の蒸気機関車は1975年に定期運行を終了した。 旅客輸送量(データは『日本国有鉄道監査報告書』より)億人キロ1960年1970年1980年国鉄1240 1897 1931 私鉄604 991 1214 バス440 1029 1104 自動車115 1813 3213 航空機7 94 297 船舶26 48 61 大都市では自動車が増え道路の混雑がひどくなった結果、路面電車の軌道が交通の障害とみなされるようになった。東京では1964年から路線が順次廃止され現在荒川線のみが運行している。大都市の路面電車の全廃は1969年の大阪市電が最初で、名古屋や京都などの他の大都市も順次全廃していった。一方札幌、広島、高知、熊本等の地方中核都市では現在でも市民の足として活躍している。 1970年代後半になると主要な高速道路が開通して、機動性および利便性に優れたトラック輸送が増え、貨物輸送に占める鉄道の比率が著しく低下した。国鉄の貨物輸送は、従来「発駅で貨車に積み込む」→「発駅近くの貨物ヤードで方向別貨物列車を編成」する方式で到着までに日数がかかるため、急ぎの荷物は敬遠されるようになった。1975年11月26日から8日間続いた「スト権スト」は、期間中の荷物の滞留もあって貨物の国鉄離れをさらに進めた。従来の方式ではトラックに対抗できなくなったため、国鉄はヤード方式を廃止し発駅と着駅を固定した直通列車方式に切り変えてゆく。 夜行列車は、座席車についてはコストが安い夜行バスの進出により激減し、寝台車も国内航空運賃の相対的低下によって競争力が低下し始めた。 貨物輸送量(データは『日本国有鉄道監査報告書』より)億トンキロ1960年1970年1980年国鉄536 624 370 私鉄9 10 7 トラック208 1359 1789 航空機- - 3 船舶616 1512 2222
※この「他の輸送手段との競争の激化」の解説は、「日本の鉄道史」の解説の一部です。
「他の輸送手段との競争の激化」を含む「日本の鉄道史」の記事については、「日本の鉄道史」の概要を参照ください。
- 他の輸送手段との競争の激化のページへのリンク