二圧力式制御弁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:55 UTC 版)
二圧力式制御弁の多くは自動空気ブレーキそのものの発明者であるジョージ・ウェスティングハウスが興したアメリカ・ウェスティングハウス・エア・ブレーキ社(WABCO、現ワブテック社)の手によって開発されたものである。 およそ30年に渡る試行錯誤を経てシステムとして確立された客車用のP弁、貨車用のK弁を出発点として、電車用のM弁、客車・電車の長大編成・高速化に対応したU自在弁など目的に応じて様々な派生モデルが同社の手で生み出され、これらは真空ブレーキに長く固執したイギリスを除く世界各国に広く普及した。 WABCOによって開発された代表的な自動空気ブレーキ用二圧力式ブレーキ制御弁は下記の通り。 P三動弁 客車用。1885年に開発。日本では客車用として鉄道省に制式採用され、大量導入された。アメリカなどではインターアーバンの黎明期に電車用としても使用された。 K三動弁 貨車用。1905年頃開発。ブレーキシリンダとブレーキ制御弁を一体化したもの。 M三動弁 電車用。P弁を基に高速電車での応答性能改善を目的として1909年に開発。日本では国鉄・私鉄を問わず幅広く普及し、一部の電気機関車にまで採用された。ただし、非常ブレーキの作用に問題があり、長大編成での使用に適さない。 F三動弁 電動貨車・小型電気機関車用。M弁を簡略化したもの。 U自在弁 旅客車用。U万能弁とも呼ばれ、P弁からR弁(1904年)やT弁(1906年)、M弁、そしてL弁を経て高速・長大編成対応として1913年に開発。伝達促進・階段緩め・非常急動などの複雑なブレーキ制御を、精緻な機構部による巧妙かつ鋭敏な切り替え動作で実現した。客車と電車の双方に使用され、電車では空気圧制御だけで10両編成以上の長大編成を実現可能とした。日本では鉄道省が一時試用したが国鉄の運用環境では巨大かつ複雑精緻に過ぎて採用されず、本格採用は高速運転あるいは長大編成での運転を実施した新京阪鉄道、阪和電気鉄道、参宮急行電鉄、大阪電気軌道、それに大阪市電気局と関西の5社局に限られた。 AB制御弁 貨車用。高速・長大編成対応として1932年に開発。日本には導入されなかったが、アメリカでは1933年以降新造の貨車について搭載が義務づけられて急速に普及し、戦時輸送を支えた。 なお、電車用については、ブレーキシステム全体を指してAMUブレーキなどの形式名で呼ばれることがあるが、これは自動空気ブレーキ (Automatic air brake) を示すA、電動車 (Motor car) 用を示すM、それに使用するブレーキ制御弁の種類(この場合はU自在弁)を示すUを順に並べたWABCOでの社内呼称であり、この例では「電動車用U自動空気ブレーキ」を表す。 WABCO以外の手による二圧力式ブレーキ制御弁としては、日本で実用されたものとして、以下の3種の存在が知られている。 J三動弁 M弁対抗として総合電機企業としてのウェスティングハウスのライバルであるゼネラル・エレクトリック(GE)社が開発した。なお、ブレーキシステムとしての名称はAVR (Automatic Valve Release) ブレーキとなり、日本、特に国鉄でこのブレーキについて慣習的に用いられていたWABCO流のルールに基づくAMJブレーキという呼称は国際的には通用しない。日本では一時国鉄が電車用として採用し、GE社製、あるいは同社とのライセンスに基づく東芝製の電装品を車両に導入した一部私鉄などでも採用例が存在する。 A動作弁 旅客車用。P弁やM弁の簡易性とU弁の高性能を折衷して日本エヤーブレーキ社(現・ナブテスコ)で1928年に開発された。元々は日本の鉄道省が制式客車の自動ブレーキ装置を国産化の上で統一する見地から、日本エヤーブレーキと三菱電機の両社にそれぞれ新型ブレーキ弁の開発を要請、比較試験の結果、日本エヤーブレーキの方式が採用されて、制式客車用AVブレーキ装置に用いられたものである。その後、客車だけではなくU自在弁では手に余るがM三動弁では性能が不足する日本の郊外電車や都市間高速電車用として、U弁ほどの長大編成には対応できないものの、M弁と比較して高い保安性が得られ、しかも製造・保守コストが比較的低廉である、という中庸ぶりが評価され、1950年代までに爆発的に普及した。 C三動弁 A動作弁の後継機種として第二次世界大戦後に、電磁給排弁を併用することで発電ブレーキと自動空気ブレーキの連携を図る、電磁自動空気ブレーキとしての使用を前提として日本エヤーブレーキ社で開発された。A弁では非常部と常用部でブレーキ力に格差があったのを是正し、U弁と同様に非常部でも中継弁併用で階段緩めの使用を可能とした点が特徴である。ただし、日本におけるそのデビューがWABCO開発でより高性能な電磁直通ブレーキの導入期に重なっていたこともあり、1950年代から1960年代にかけての時期に日本の私鉄各社が製造した、カルダン駆動方式を採用する高性能車の一部に採用されたに留まる。
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