中国攻め以前の織田・毛利関係とは? わかりやすく解説

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中国攻め以前の織田・毛利関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 03:40 UTC 版)

中国攻め」の記事における「中国攻め以前の織田・毛利関係」の解説

詳細は「野田城・福島城の戦い」を参照 織田信長毛利氏当主毛利輝元阿波本拠とする三好氏対す牽制の意味もあって、但馬播磨備前のあたりを互い緩衝地帯として、たがいに友好関係保持してきた。信長は、上洛以来瀬戸内海東部制海権掌握をめざし、それを阻む三好三人衆石山本願寺はしばし戦ってきた(野田城・福島城の戦い)が、他方瀬戸内海西部海域掌握していた毛利氏小早川氏を敵にまわさないよう気を配ってきたのであった。しかし、一方で信長天正3年1575年)、大友氏島津氏九州地方諸大名講和させて毛利氏背後圧力加えよう企図し、関白左大臣近衛前久薩摩肥後下向させている。 天正3年8月信長明智光秀羽柴秀吉先鋒に、自らも出陣し越前府中福井県武生市)を攻めて越前一向一揆壊滅させ、加賀能美郡江沼郡制圧して、9月越前北庄福井県福井市)に北庄城築き後事柴田勝家託した。これは、石山本願寺にとっては大きな痛手となった。そして、天正元年1573年)に室町幕府最後将軍足利義昭を京より追放し越前平定した後の信長「天下布武」における最重要課題は、政治的軍事的にも、経済的に西国平定となったのである越前制圧直後信長方の摂津有岡城兵庫県伊丹市)主荒木村重西播磨豪族から人質をとり、謀反起こした宇喜多直家交戦であった備前浦上宗景援助して宗景の居城天神山城岡山県和気郡和気町)に兵糧入れ援助したが、天正3年9月に宗景は直家に敗れて備前追われた(天神山城の戦い)。浦上宗景敗退によって毛利氏与する宇喜多直家備前支配権奪取し、これにより毛利勢力東進による織田氏との直接衝突現実味帯びた信長天正3年10月播磨の旧守護赤松氏配下であった御着城兵庫県姫路市)の小寺政職や、三木城兵庫県三木市)の別所長治龍野城兵庫県たつの市)の赤松広英、直家によって失領した宗景らが上洛して信長出仕した一方山陰地方では信長毛利方との約束反してそれ以前から尼子勝久山中幸盛(鹿介)らの挙兵ひそかに支援していたことから事態転変繰り返した天正2年1574年)に尼子勢が因幡挙兵して、私都城鳥取県八頭郡八頭町)、若桜鬼ヶ城鳥取県八頭郡若桜町)を攻めて鳥取城鳥取市)の城主山名豊国に危険がせまったため、豊国伯父信長取り立てられていた但馬有子山城兵庫県豊岡市城主山名祐豊豊国救援のため毛利方に走った。しかし、丹波黒井城兵庫県丹波市城主赤井直正荻野直正)が但馬国内へ侵入したため、祐豊は再び信長方に転じた天正4年1576年2月義昭紀伊興国寺和歌山県日高郡由良町)から毛利氏の支配する備後国鞆の浦広島県福山市)に移った。これは、必ずしも毛利氏歓迎するところではなかったが、義昭さかんに輝元らに対し信長敵対するよう働きかけた。義昭それ以前から征夷大将軍として御内書出して各地大名糾合呼びかけ信長包囲網第3次)の形成努めたその結果長らく信長対立していた本願寺武田氏のみならず備前国宇喜多直家などがこれに参加したこうした動きは、信長傘下諸勢力にも少なからざる動揺与えた信長天正3年秋より光秀命じて丹波攻め本格的に開始し光秀丹波の国人のほとんどを味方につけて赤井忠家とその叔父である直正の立てこもる黒井城包囲して兵糧攻めにして落城寸前にまで追いこんでいたが、天正4年初頭突如として丹波国人の1人八上城兵庫県丹波篠山市)主波多野秀治裏切り光秀は総退却余儀なくされた(第一次黒井城の戦い)。前後して、いったんは織田氏与力した但馬山名祐豊天正3年末、またも信長叛旗ひるがえした

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