中国支配下のカシャク(1951-1959)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:43 UTC 版)
「ガンデンポタン」の記事における「中国支配下のカシャク(1951-1959)」の解説
中国共産党は、1949年から1950年にかけて、馬歩芳の支配下にあったアムド地方(青海地方)や、西康省の名のもと劉文輝の統治下にあったカム地方の頭部を制圧したのち、いわゆる「西蔵和平解放」を発動、1950-51年にかけて、ガンデンポタンが実効支配しつづけてきたチベットの西蔵部分(ガリ地方・ウー・ツァン地方、カム地方西部)を制圧。 ガンデンポタンに対し「西蔵地方政府」の名称を用いるとともに、西蔵を中国の行政機構に統合する準備を始め、1956年、ダライラマ十四世を「委員長」とする西藏自治区籌備委員会を設置した。
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