中国抗日地区への脱出
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1945年2月、金史良は國民総力朝鮮聯盟兵士後援部から「在支朝鮮出身学徒兵慰問団」の一員として北京に派遣され、北京飯店236号室に投宿した。ここで抗日解放区への脱出を模索し、5月29日午前に北京駅から南下する列車に乗り彰徳へ向かう。30日午後4時15分、順徳駅で下車し工作員に手引きされ、日本軍の封鎖線を突破し、徒歩や人力車で31日午前3時15分に華北朝鮮独立同盟の連絡地点に到着した。めざした華北朝鮮独立同盟の本拠地、河南店に近い南庄村に到着したのはおよそ1か月後の6月末から7月にかけてであった。このころの作品として、脱出行から抗日陣営に身を投じるまでの経験を書いた『駑馬万里』のほかに、「胡蝶」「ドボンイとベベンイ」といった徹底抗戦を呼びかけ文化啓蒙と宣伝を目的とした戯曲を書いた。
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