中国戯劇学院時代から映画デビューへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 20:23 UTC 版)
「ジャッキー・チェン」の記事における「中国戯劇学院時代から映画デビューへ」の解説
7歳から約10年間、中国戯劇学院にて京劇や中国武術を学び、学院の閉鎖後、映画のエキストラやスタントマンを務めた。映画デビュー作は『大小黄天覇』(1962年)。 無名時代、ブルース・リーの映画『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)では、門下生の中のエキストラや、ラスト近くでリーに蹴られて障子を突き破る重要なシーンでのスタントマンを務め、『燃えよドラゴン』(1973年)ではリーに首を折られるエキストラ役としても出演した。その後オーストラリアの両親の元に戻り俳優業から離れ、左官やコックなどの職に就いた。 「陳元龍」名義で大地製作の『ファイティング・マスター』(1972年)で俳優デビューする。『ドラゴン・ファイター』 (1973年)に悪役として出演するが、2作品ともヒットはしなかった。
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