ロシアの主張への反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 07:23 UTC 版)
「2014年クリミア危機」の記事における「ロシアの主張への反論」の解説
ウクライナは、様々な場面により、ロシアによるクリミア編入を正当化する論理に反論している。在日ウクライナ大使館が2014年8月から9月にかけて日本語でFacebookとTwitterの公式アカウントでウクライナの立場を主に以下のように表明している。 ロシア国史全体において(モスクワに関するはじめての記述は1147年)クリミア半島がロシア領だったのは171年間だけ(1783年 - 1954年)。 クリミア半島は、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(ソ連時代)には33年間(1921年から1954年)しか入っていない。ウクライナ・ソビエト連邦社会主義共和国への編入が行われてから、2014年時点で既に60年間、クリミア半島はウクライナ領土。 1954年のクリミア編入手続きは合法的に行われた(1954年6月2日のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国議会で、ロシア共和国憲法とソ連憲法の間に齟齬のないことを満場一致で確認し、共和国構成主体について書かれたロシア共和国憲法第14条の変更に賛成、クリミア州の法的な離脱を確定)。 国際連合や欧州安全保障協力機構が行った様々な調査により、逆にロシア人の人権やロシア語話者の権利は守られていることが明らかになっている。 ウクライナの東・南部で実施された世論調査(2014年4月)によると、72%の市民が、ロシア語話者の権利が奪われているとの意見に賛成しないと回答している。 ロシア連邦大統領は、クリミア併合を決めたのは、「ウクライナの合法的なヤヌコーヴィチ大統領が追い出された(2014年2月22日)あと」とか「クリミアの住民がキエフのバンデラ政府に脅されたあと」、クリミアの住民への世論調査の結果を見て決めたと言っているが、アナリスト達は、クリミアの武力による占領の準備が数年前には始められていて、2013年秋から冬にかけての時期が、その準備の最終段階だったと説明している。証拠1:2013年12月28日、ロシア大統領が署名して、公の場でロシア領土の一体性を侵害するような言動の刑事責任を問えるようにする法律が作られたこと。証拠2:クリミア併合に直接関わった人物に授与されたロシア国防省のメダルに「2014年2月20日〜3月18日クリミア回帰」と書かれており、ヤヌコーヴィチ大統領が国外逃亡する以前の日付にクリミア編入計画が始まったことが示唆されていること。 ウクライナのクリミア自治共和国を含め一部の地域だけで住民投票を実施するのは、ウクライナ法に違反。ウクライナの「国民投票法」によると、一部の地域だけで行う住民投票は規定されていない。クリミアや他の地域が住民の意志でウクライナから離脱することが法的に認められても、その住民投票を行う場合、国際法の観点から、以下3つのルールを守る必要あり。1:非軍事化(軍事力は、実施地域から排除されねばならない)。2:民主化(自由で民主的に意思表示を行うための条件が整えられなければならない)。3:非過激化(過激な武装勢力の活動は禁止されねばならない)。プロセスは全て国連の管理の下で行われなければならず、外国軍が占領している状態で実施された住民投票に、法的効力はない。クリミア自治共和国では、どの条件も満たされていなかった。クリミアでは、閣僚会議が違法に解散され、自称「政府」や「議会」が「住民投票」を決定・準備・実施し、その間、ロシア軍がずっと監視をしていた。ロシアは、ずっと「軍はいない」と主張していたが、「住民投票」が終わってから、プーチン大統領はロシア軍が活動していたことを自白。 「住民投票」の結果は、投票率がクリミア自治共和国で81.4%、セヴァストーポリで89.5%、そしてロシアへの編入賛成は96.77%と95.6%だったと発表されたが、この数値は、ロシア連邦大統領直轄の市民社会・人権発展会議のサイトに短期間公開された情報で否定された。そのサイトで発表された情報では、「住民投票」に参加したのは、30%以下で、その中の50%程度の人が編入に賛成。「住民投票」をボイコットしたクリミア・タタール人の代表機関メジュリスの調査では、投票したクリミア住民は30-40%ぐらいだった。International Republican Institute (IRI)が2011年11月と2013年5月に行った世論調査では、クリミアのロシア併合を望むのは23-33%、ウクライナに残ることに賛成するのは49-53%だった。 また、ウクライナの主権と領土保全を誓約した1991年のCIS創設に関する協定や1997年のロシア・ウクライナ友好協力条約などロシアが締結してきた諸協定に反していることも指摘された。
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